薪の、置き場(第二稿)
ガスに変えて二十年、それでも残してある軒下

ムロフシガク(58歳・銭湯のボイラー技士35年)

ガス焚きに変えて二十年。栓ひとつで火が立ち、栓ひとつで落ちる。それでも釜場の裏手には、薪の置き場が残してある。屋根とトタンだけの小屋で、いまは数日ぶんの薪が積んである。客は見ない。災害でガスが止まったときの備えだ。

解体現場の親方が、よく顔を出した。「薪、要るか」。それだけ言って帰る。私は荷台に廃材をもらいに行った。建具屋の端材が混じると、釜場の匂いが変わった。檜は燃やすと甘く立ち、杉は鼻の奥を刺した。火を見ずとも、匂いで何の木かわかった。

もらった廃材は、そのままでは焚けない。釘が混じっている。私は一本ずつ膝に乗せ、釘抜きで頭を起こして抜いた。錆びて抜けない一本は、頭が缶の鉄板を叩かない向きを選んで、火室の奥へ寝かせた。抜いた釘は缶の脇の空き缶に放る。一冬で、空き缶は半分まで埋まった。

薪は火力に波がある。一本くべれば跳ね、熾火になれば沈む。私は鉄の搔き棒で、熾火を中央へ寄せたり、端へ散らしたりした。湯面の湯気が暴れれば散らし、ゆるめば寄せる。搔き棒の先から、熾の崩れる手応えが手のひらへ返ってきた。火を、手で抑えていた。

ガスにも、手応えはある。冬の朝、元水が冷えて缶の底まで冷たい日は、燃焼量を上げて底から長く回す。目盛りは〇・〇五を指したまま動かないが、私は湯量と元水温で、底の温まり方を読む。薪のように熾を散らすのとは、別の手応えだ。消えたのではない。移ったのだ。

煙突の掃除は年中行事だった。薪の煤は木のタールで湿り、煙突の内側に粘って張りつく。下から長い柄のブラシを突き上げると、ブラシの戻りが硬く、塊で剥がれ落ちた。落ちた煤は黒く重く、顔も手も真っ黒になった。ガスに変えて、煙突は煤を出さなくなった。ブラシは置き場の隅に立てたままだ。

口開けの年寄りが言う。「昔の湯はやらかかった」。薪の湯はやわらかかった、と。理屈はこうだ。薪は火力が安定しないから、湯の温度が絶えず細かく上下する。皮膚はその揺らぎを、やわらかさと感じる。ガスは安定しているから、湯はまっすぐで、硬い。年寄りの言うとおりだ。

廃材の処理は法律で変わり、勝手のやり取りはできなくなった。「薪、要るか」の声は、もうかからない。それでも私は、月に一度、置き場の斧を出して柄に油を引き、刃を研ぐ。研いだ刃を陽にかざし、また小屋の隅に戻す。釘を放った空き缶も、搔き棒も、ブラシも、そこにある。湯はいまも、まっすぐで硬い。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。