ムロイカズキ(33歳・水槽メンテナンス業9年)
水槽を設置するのも引き上げるのも、同じ私の仕事だ。月二回の巡回のあいまに、たまに引き上げの日が入る。理由は伝票に一語で書かれている。移転、コスト削減、倒産。どれであっても、やることは変わらない。水を抜き、魚をすくい、砂利を袋に詰め、台座を解体する。半日もかからない。
引き上げの日の朝は、いつもより重い道具を積む。普段の巡回はスクレーパーと試薬と網だけだが、引き上げにはポンプと、空のポリタンクと、魚の搬出用のパッキング一式がいる。ビニール袋に魚と少しの水を入れ、酸素を吹き込んで、口を輪ゴムで縛る。それを発泡スチロールの箱に立てて並べる。窓の外には朝の光が静かに差していて、フロアはまだ無人だった。
水を抜くのが、いちばん時間がかかる。ポンプのホースをポリタンクに差し、モーターを回す。九十リットルの水が抜けきるまで、私はその場でただ待っている。水位が下がるにつれて、ガラスの内側に水の境目の線が下りていく。魚は減っていく水の底に集まって、いつもより速く泳ぐ。そういうとき、私は少しだけ申し訳ない気持ちになる。
魚を袋に移し終えたころ、社員が一人、近づいてきた。「その魚、どこに行くんですか」。引き上げの日には、たいてい誰かがそれを聞きにくる。設置のときには名前を聞かれ、引き上げのときには行き先を聞かれる。私はいつも同じように答える。「うちの別の契約先か、会社のストック水槽です」。本当のことだ。引き上げた魚は洗われて、空きのあるストック水槽に入り、次の現場の標準構成に組み込まれる。彼は「そうですか」と言って、少し立ち止まってから、自分の席に戻っていった。
砂利は、思っているより重い。底に敷いた砂利を網じゃくしですくって袋に詰めていくと、水を含んだぶんずっしりくる。袋の口を縛って持ち上げると、腕にくる重さで、この水槽がどれだけの時間そこにあったかがわかる気がする。砂利の一粒一粒に、九年ぶんとは言わないが、それなりの月日が染みている。
台座を解体して水槽を運び出すと、壁に四角い跡が残る。水槽の背面が当たっていたところだけ、壁紙が日に焼けず、まわりより白い。設置のときには無かった跡が、引き上げのときに現れる。私はその四角を、毎回しばらく見てしまう。ここに、水のある世界があった。誰かが昼休みに立ち止まった世界が、四角い白さになって壁に残っている。
設置の日と引き上げの日とで、作業はちょうど逆再生だ。箱を運び込み、台座を組み、水を張り、魚を放つ——それを逆からやれば引き上げになる。違うのは、見ている側の顔だ。設置の日は人が集まってきて、青い光が点くのを楽しそうに見ている。引き上げの日は、誰も近くには来ない。みんな自分の席から、遠巻きにこちらを見ている。同じ作業なのに、見られ方がまるで違う。
最後に契約終了の書類にサインをもらって、フロアを出る。エレベーターのなかで、さっき詰めた魚の袋がかすかに揺れている。ストック水槽の空きは、たしか二本あった。この魚たちは、たぶんそこに入る。そしていつか、別の会社の受付で、また誰かに名前をつけられる。あるいは、つけられない。
引き上げは、終わりではなく移し替えにすぎない。魚も砂利も、消えるのではなく次の場所へ運ばれていく。きっと、壁に残るあの四角い跡こそが、水槽がそこにいた証なのだ。私は水の管理人として、その証を一つずつ残しながら、今日も別の現場へ向かう。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。