健診の、バス
病院の外で撮る日のこと

ナバタメコウキ(40歳・診療放射線技師17年)

年に何度か、私は病院を出て撮りに行く。検診車——レントゲンのバスだ。会社の駐車場や、町の集会所の前にバスを停めて、その地域の人たちの胸を、一日で何百枚と撮る。表に出ない場所を写して地域の健康を守る、その最前線に立っているのだという思いが、運転席の隣で揺られながら、いつも胸の奥にある。

朝、現地に着いて最初にやるのは、水平を出すことだ。駐車場はたいてい傾いている。ジャッキでバスの四隅を支え、水準器の泡が真ん中に来るまで調整する。撮影台が傾いていれば、写る肋骨の重なりが狂う。地面の傾きを、機械の水平で打ち消す。発電機が低く唸りはじめ、車内に電気が通る。撮影室に灯りがつく。仕事が始まる、という合図のようなものだった。

バスの中の撮影室は、狭い。病院の撮影室の、たぶん三分の一もない。受診者と私と、撮影台と管球。それだけで埋まる。後ろに下がる余地はないから、距離は据え置きで、こちらが体をひねって機械の陰に身を寄せる。大柄な人が入ってくると、肩を入れる角度に毎回工夫がいる。限られた空間で、診断に足る一枚をどう作るか。狭さは、言い訳にはならない。

そして、名前の確認だ。これだけは、何があっても省かない。「お名前を、フルネームでお願いします」。受診票を見ながら、ご本人の口から言ってもらう。一日に何百人も入れ替わる流れの中で、取り違えだけは、絶対にあってはならない。撮った写真が別の人のものになれば、安心も不安も、宛先を間違える。流れ作業の速さの中で、ここだけは、いつも一度立ち止まる。

受診者は、次々と入れ替わっていく。脱いで、入って、息を止めて、出ていく。一人にかけられる時間は短い。それでも、去年も担当した人だと、なんとなく顔で分かることがある。「去年もこのバスでしたね」と言われて、こちらも思い出す。写真を見比べて去年との違いを読むのは医師の仕事で、私はそこに立ち入らない。でも、顔は覚えている。人の体の内側を写すという尊い営みは、こうして一年に一度の再会の中で、静かに続いていくのだ。

雨の日は、傘の列ができる。バスの乗降口の前に、折りたたみや透明のビニール傘が、順番待ちのまま並ぶ。濡れた靴で乗ってくる人に、足元のマットを指して声をかける。発電機の音に雨音が混じる。狭い車内に、雨の匂いと人いきれがこもる。そういう日も、撮る枚数は変わらない。傘の数だけ、胸がある。

一日が終わると、撮ったデータをまとめて送る。後日、その町の人たちのもとに、「異常なし」あるいは「要精検」の通知が届く。けれど、その通知の向こうの安心を、私は直接には見ない。撮って、送って、ジャッキを下ろして、次の町へ向かう。誰かが胸をなでおろした顔も、眉をひそめた顔も、私の知らないところにある。私が触れるのは、息を止めてもらう、あの三秒までだ。

バスは揺れながら、次の駐車場へ向かう。窓の外を、見覚えのない町並みが流れていく。撮って、送って、次の町へ——それが、検診車に乗る技師の仕事なのだ。年に一度しか会わない人たちの胸を、私はこうして、一枚ずつ写しながら巡っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。