夜間の、呼び出し
待機の夜と、明け方の道

ナバタメコウキ(40歳・診療放射線技師17年)

月に何度か、私は呼び出しの当番に当たる。オンコール——夜間待機だ。病院には泊まらない。自宅にいて、携帯を枕元に置いて、ただ待つ。鳴れば、起きて、走る。眠っている町の片隅で、誰かの命を支えるために灯りを絶やさず待ち続ける、その役目を担っているのだという気持ちが、布団の中で、いつも胸の奥にある。

待機の夜には、待機の暮らし方がある。風呂は、入るなら早い時間に、短く済ませる。頭を洗っている最中に鳴れば、濡れたまま出るしかないからだ。酒は飲まない。当番の夜だけは、晩酌のグラスを棚に戻す。運転して病院まで行く以上、飲んでいい理由が一つもない。鳴るかもしれない電話と、同じ部屋で夜を過ごす。鳴らないことを願いながら、鳴ったときの段取りだけは、頭の中で並べておく。

電話が鳴るのは、たいてい寝入りばなか、明け方だ。救急からのCT。「頭部、お願いします」。それだけで起きる。着替えは枕元にたたんである。車のキーは玄関の決まった場所にある。考えなくても手が動くように、当番の夜は、すべてを定位置に戻して眠る。深夜の道は空いている。信号はほとんど黄の点滅に変わっていて、私は法定速度の中で、それでも一秒を惜しんで走る。呼び出しから撮影開始まで、時間との勝負だからだ。

病院の夜間駐車場は、昼の三分の一も埋まっていない。常夜灯の白い光の下に、当直の車だけが点々と停まっている。自分の足音だけが響く。通用口の暗証番号を押し、人気のない廊下を抜けて、CT室の灯りをつける。装置を立ち上げる起動音が、静かな夜にやけに大きく聞こえる。私が来るまでの時間、救急では誰かが患者を診て、待っている。その分を、ここから取り返す。

運ばれてくるのは、意識のない患者であることが多い。「息を止めてください」は、通じない。声をかけても、頷きも、呼吸を合わせる返事もない。だからこちらが、その人の体を読む。ストレッチャーから天板へ、頭の位置を正中に合わせ、顎の角度を作る。点滴のラインと、心電図のコード、酸素のチューブを、撮影の妨げにならないよう一本ずつ逃がす。意識のある人になら頼める一切が、頼めない。代わりに、こちらの手数が増える。動かない体を、動かないまま、診断に足る角度に置く。

夜の現場は、人が少ない。昼なら何人もいる手が、夜は医師と看護師と私の、数えるほどだ。言葉も短くなる。「行きます」「入りました」「終わりました」。余分な説明はいらない。撮り終えた画像が再構成されてモニタに並ぶと、当直医がのぞき込む。出血の有無、その広がり。読影は医師の仕事で、私はそこに立ち入らない。私が渡すのは、判断に足る一式だ。少ない人数の現場では、各々が自分の持ち場の言葉だけを、過不足なく交わす。

撮り終えて、装置を片づけ、画像を送り出すと、私の夜の仕事はそこで終わる。患者がそのあとどうなったかは、たいてい知らされない。手術に回ったのか、経過観察になったのか、朝の申し送りで耳に入ることもあれば、入らないこともある。撮って、渡して、帰る。結果の向こう側は、私のいない場所にある。それでいい、と思っている。私が触れるのは、あの暗い天板の上の、数分間だけだ。

帰り道は、明け方になっていることが多い。東の空がうっすら白んで、街灯が一つずつ消えていく。来たときは空っぽだった道に、新聞配達のバイクが走り出している。家に着いて、まだ温かい布団に戻る。一、二時間でも眠れれば、それで足りる。眠っている町の命を見えないところで支える夜勤明けの男——そう言いたくなる自分を、明け方の道はいつも少し冷ます。私はただ、撮って、渡して、帰っただけだ。

そして、呼ばれない夜もある。携帯を握りしめるようにして眠り、朝、目が覚めて、画面に着信がないことに気づく。何も起きなかった、という安堵。それと同時に、身構えていた体が行き場を失う、拍子抜けのような感覚。準備した着替えは、たたまれたままだ。鳴らない電話と過ごした夜が、いちばん良い夜なのだと頭では分かっている。それでも明け方、何も起きなかった朝の中で、私は少しだけ、間の抜けた顔をしている。呼ばれなかった夜を喜び、呼ばれた夜に走る——それが、待機の当番に当たる夜の、俺なのだ。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。