ナギサヒロコ(54歳・ビル総合受付28年)
受付は夕方に帰る。けれどビルは、私が帰ったあとも灯っている。深夜のオフィスビルに、ぽつんと一つだけ窓の灯りがともっているのを、駅へ向かう途中で振り返って見ることがある。あの灯りの下に、まだ誰かがいる。二十八年、私はその灯りを、見送る側で見てきた。
翌朝、出勤するとまず警備日誌に目を通す。様式は決まっている。日付、天候、巡回時刻、そして「最終退館」の欄。前夜、いちばん最後にビルを出た人の、退館時刻とフロアが、警備員の字で記されている。「最終退館 23:47 8F」。顔は知らない。けれど、フロアで会社が分かる。
時間外の入退館は、カードの記録に残る。受付のカウンターが無人になったあと、社員証をかざして入る人、出る人。エレベーターの稼働ログにも、深夜に何階で止まったかが残っている。私はそれらを読むことはできない立場だけれど、警備日誌の一行だけは、朝いちばんに目に入る。
三月になると、8Fの最終退館が、どんどん遅くなる。二月までは二十時台だったのが、三月の頭で二十一時、半ばで二十二時、決算の追い込みになると二十三時を越える日が続く。日誌の数字を追っていくだけで、あのフロアが今どれだけ忙しいのか、手に取るように分かるのだった。経理の繁忙は、暦より先に、退館時刻に出る。
決算期のフロアには、夕方になると宅配の夕食が届く。受付がまだいる時間に、配達の方が「8Fです」と箱を提げて入ってくる。同じ弁当屋の箱が、三月のあいだ毎晩のように運ばれていく。その箱の数を見れば、今夜も遅いのだろう、と思う。私が帰ったあと、あの箱は誰かの机の上で開けられる。
夜のビルでは、フロアごとに消灯が確認される。警備員が巡回して、上から順に灯りを落としていく。最後まで残るフロアが、その夜のいちばん遅い部署だ。日誌の「最終退館」は、その最後の灯りが消えた時刻でもある。私はそれを、翌朝の数字でしか知らない。
ある週、妙なことに気づいた。朝いちばんに解錠を待って入ってくる人と、前夜の最終退館の人とが、どうやら同じ人らしいのだ。8Fの三十代の男性。朝、私が鍵を開けるのを待っている。そして翌朝の日誌には、前夜の8Fの最終退館が、また遅い時刻で残っている。たぶん、ほとんど帰っていない。声をかけようか、と思った。「無理なさらないでください」と。けれど、かけなかった。それは受付の領分ではない。私は出入りを見る人で、出入りの中身に立ち入る人ではない。
四月になると、8Fの最終退館は、すっと早くなる。二十時、十九時、やがて定時の灯りに戻る。決算が終わったのだ。日誌の数字が、季節の終わりを教えてくれる。私はそれを、ほっとしながら読む。
最終退館の、たった一行。23:47、8F。そこには名前も顔もない。けれど私は、その数字の向こうに、夕食の箱を開ける人、朝いちばんに鍵を待つ人を見ている。日誌に並ぶ時刻は、ただの記録ではない。それは、私が帰ったあとも働いている人たちの、体温なのだと、いまでは思う。受付とは、人を迎える場所であると同時に、迎えられなかった夜を、数字で見守る場所でもあるのだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。