夜明けの、収穫
果実が冷えているうちに、三日先の赤を摘む

ナンジョウヒカリ(24歳・温室いちご農家二代目)

夜明け前のハウスは、まだ夜の続きのような顔をしている。空が白む前、果実が夜の冷えをまだ抱えているうちに、私は収穫を始める。朝採りという言葉は、宣伝の文句のように聞こえるかもしれない。けれど、これは品質管理なのだと思う。冷えた実を摘むと、日持ちがまるで違うのだ。

ヘッドライトをつけて畝の間に入る。電灯の灯りの下では、赤がほんとうの赤に見えない。少し青みがかった白い光だと、熟した実が、まだ早い実のように見えてしまう。逆に、暖かい色の灯りだと、青い実まで赤く見えてしまう。だから収穫用のヘッドライトの色は、太陽の色に近いものを選んでいる。光の色一つで、赤の意味が変わる。それを体で覚えるまでに、ずいぶん摘み間違えた。

完熟は、色だけでは決まらない。ヘタを見る。じゅうぶんに熟した実は、ヘタの先が少し反り返る。果実のほうへ寝ていたヘタが、外側へ反っていく。色が乗っていても、ヘタがまだ実に張りついているうちは、もう一日待つ。色は嘘をつくことがあるが、ヘタの反りは嘘をつかない。父も同じことを言っていた。指ではなく、目で触れるように見る。

摘むとき、果実には触れない。触れた指のあとが、数時間後に黒く沈むからだ。ヘタの上の細い茎を、爪で軽く折る。実そのものは手のひらで受けるだけで、つままない。この「つままない収穫」を覚えるまで、私は何百粒も傷つけた。傷つけた実は、その日のうちは分からない。翌朝、指のあとが浮かんで初めて、ああ、と分かる。収穫の失敗は、いつも一日遅れてやってくる。

トレーに並べながら、私の目は今日の赤だけを見ているのではない。隣の、まだ肩のあたりが白い実を見て、これは明日だ、と思う。その奥の、まだ全体が薄紅の実を見て、これは明後日だ、と予約する。摘むという作業は、今日の収穫であると同時に、三日分の予定を立てる作業なのだ。一畝を歩き終えるころには、明日の収穫量と、明後日の出荷量が、頭の中におおよそできている。

選別の基準は、出荷先で変わる。市場へ出す分は、日持ちを優先する。少し手前の、まだ芯に張りのある赤を選ぶ。トラックに揺られ、店頭に並び、買われて食卓に届くまでの時間を、逆算して摘む。直売所に出す分は、今日の味を優先する。完熟ぎりぎりの、いちばん甘い赤を選ぶ。明日には柔らかくなりすぎる実こそ、今日売り切る直売所には向いている。同じ畝のいちごが、出口で二つに分かれていく。

パックに詰めるときは、粒の向きをそろえる。ヘタを上に、先の尖ったほうを手前に。規格は粒の大きさで分かれていて、二Lだの、Lだの、選果のときに目と手でより分ける。直売所の朝は、開店前から行列ができる日もある。並んでくれる人がいるというのは、就農したころには想像もしなかったことだ。私の摘んだいちごを、誰かが待っている。それは、少し怖いような、嬉しいような感覚だ。

うちは高設栽培で、いちごは腰の高さの棚で育つ。立ったまま摘める。父の代は土耕で、地面に這ういちごを、しゃがんで一日中摘んでいた。父の腰はもう、まっすぐには伸びない。私が腰を曲げずに収穫できるのは、父が腰を曲げ続けた時間の上に立っているからだ。棚の高さ一つにも、世代の引き継ぎがある。

空が白んできた。ヘッドライトを消すと、ハウスの中が急に広く見える。トレーには、今日の赤が並んでいる。明日の赤と、明後日の赤は、まだ畝に残してきた。夜明けの赤が、私の一日を作るのだ。冷えているうちに摘んだいちごは、今日もきっと、長く持つ。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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