検診の、午後
月に一度の、繁殖検診の巡回

ナルカミハル(44歳・産業動物の獣医19年)

命を預かる仕事をしていると、月に一度、その命がこれから生まれてくるかどうかを確かめる日がある。繁殖検診だ。決まった牧場を、決まった曜日に回る。秋の午後、私は長靴を履いて軽トラを降り、牛舎の前で大きく息を吸った。これから数十頭の妊娠鑑定が待っている。命の循環に立ち会う仕事なのだと、いつも思う。

検診は流れ作業に近い。保定枠に牛を一頭入れ、尾を上げ、検査手袋をした腕を肩まで直腸に入れる。壁ごしに子宮を探って、卵巣の上のしこりを指の腹で読む。黄体があれば、おそらく受胎している。次の牛、また次の牛。三十頭、四十頭。腕は牛の体温で温まり、午後の終わりには肩から先の感覚がぼんやりしてくるように思う。

近ごろはエコーを携える。プローブを直腸に入れると、画面に白黒の砂嵐のような像が走り、その中に小さな黒い影が浮かぶ。羊水の溜まりだ。さらに探ると、米粒ほどの白い点が脈を打っている。胎子の心臓だ。農家と並んで、二人で小さな画面をのぞき込む。「先生、これかい」「これです」。早期の鑑定の、白と黒の世界。命のはじまりは、いつ見ても胸を打つものがある。

けれど、検診は当て物ではない。受胎していなかった牛の前で、私はしばしば農家と長く話し込む。種付けのタイミングが発情から外れていなかったか。分娩後の栄養が足りていて、卵巣がちゃんと動いているか。受胎率という一つの数字に、餌の設計も、観察の精度も、種雄牛の選び方も、ぜんぶ畳み込まれている。獣医は、いつのまにか経営のコンサルタントのような顔をして喋っているのかもしれない。

記録がなければ、検診は成り立たない。牛の耳には耳標が下がっていて、二つ、三つの番号が打ってある。私は台帳を開き、その番号と、前回の所見と、種付けの日付を照合する。何番はいつ種を付けて、今日が何日目で、だから今日鑑定にかける――その段取りを一頭ずつ繰る。番号と台帳の照合を間違えると、すべてが狂う。だから私は、牛の顔より先に、耳標を読む癖がついた。

牧場には世代がある。先代は、自分の目と勘で牛を選んできた人だ。データより、牛の顔つきを信じる。若手は、繁殖成績の表計算と、受胎率のグラフを見せてくる。どちらも正しくて、どちらかだけでは足りない。私はその二人の間に立って、先代の勘を数字に翻訳し、若手の数字に牛の顔を添えるような話をすることになる。立場としては、なかなか難しいものだと思う。

午後の最後の一頭を終えて、手袋を外す。腕が重い。長靴の中で足の指がふやけている。台帳を閉じ、軽トラに道具を積み直していると、牛舎の奥から、夕方の餌をやる音が聞こえてくる。配合飼料が餌箱に落ちる、ざあ、という音。牛たちが首を伸ばす。今日鑑定した命も、まだ見えない命も、その音の中で同じように餌を食べている。

検診の午後は、いつもこうして暮れていく。腕の疲れと、台帳の数字と、画面の小さな影。考えてみれば、産業動物の獣医は、病気を診るだけの仕事ではない。命の循環を回し続けるために、経営も診るのが産業動物の獣医なのだ。今日もまた、私は次の牧場の曜日を手帳に確かめて、軽トラのエンジンをかける。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。