ナルカミハル(44歳・産業動物の獣医19年)
季節が変わると、私の仕事は治療から予防へと重心を移す。病気になった牛を診るのではなく、まだ病気になっていない牛に針を刺しに行く。守りの医療、とでも言うのだろうか。一斉接種の日は、朝が早い。命を守るために動くのが、この季節の獣医なのだと思う。
一斉接種は、段取りがすべてだ。数十頭に連続で打っていくのだから、一頭にかける時間が積み重なれば、終わりはどんどん遠のいていく。だから私は、前の晩に牛舎の動線を頭の中で描く。どの牛をどの順で枠場に入れ、打った牛をどちらへ逃がし、まだの牛をどこに溜めておくか。保定と動線の設計が、その日の時間を決めるのだと思う。
牛の保定には、技術がいる。枠場に追い込み、ロープで頭を固定する。けれど、ここで怖がらせてはいけない。牛はよく覚えている。一度痛い目や怖い目に遭わせると、次から枠場に入らなくなる。学習する動物なのだ。だから保定は、力ずくではなく、牛の気を立てないように、静かに行うのがいい。なるべく穏やかに、と心がけているつもりだ。
ワクチンは、温度に弱い。冷蔵で運び、冷蔵で保たねば効かない。私は車載冷蔵庫を積み、保冷剤を添えて現場へ向かう。とくに夏は気を遣う。直射日光の当たる軽トラの荷台で、ワクチンの温度がどう動いているか、道中ずっと気にかけている。効くはずのものを効かなくしてしまっては、何のために針を刺すのか分からなくなってしまう。
近ごろは、防疫の意識がいっそう強くなった。どこかで伝染病のニュースが流れるたびに、消毒の手順が一つ、また一つと増えていく。考えてみれば、農場を渡り歩く獣医こそ、病原体の運び屋になりうる存在だ。自分が広げてしまう側になるかもしれない、という自覚を、私はいつも持っているように思う。だから長靴の消毒は、これでもかというほど徹底する。
接種が終われば、記録が待っている。どの牛に、いつ、何を打ったか。耳標の番号と台帳を照らし合わせて、一頭ずつ書きつけていく。この記録は出荷にも関わるから、正確さが何より大事だ。番号を取り違えれば、打っていない牛を打ったことにしてしまう。地味な作業だけれど、ここを疎かにはできないのだと思う。
牛にも個体差がある。針を見ただけで暴れる牛もいれば、何をされても平気で反芻を続けている牛もいる。嫌がる牛をどう扱うか、それも腕のうちだ。注射の上手い下手は、結局のところ、痛みの短さに尽きるのだろう。手早く、迷わず、ひと息で刺して抜く。牛にとっては、それがいちばんの優しさなのかもしれない。
すべて打ち終えて道具を片づけていると、牛舎にはいつもの咀嚼の音が戻っている。さっきまで枠場で気を立てていた牛も、もう餌箱に首を突っ込んで、ゆっくりと顎を動かしている。何事もなかったかのような、平和な音だ。病気を待たないのが産業動物の獣医なのだ。今日もまた、私は次の牧場の予定を手帳に確かめて、軽トラのエンジンをかける。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。