ナルミヤアコ(27歳・ホテルのナイトフロント5年)
窓の外がまだ暗いうちに、フロントの夜は静かに進んでいく。モーニングコールの依頼簿を開くと、その夜に泊まっている人たちの翌日が、時刻になって並んでいる。私はそれを眺めるのが、好きなのかもしれない。コールの時間には、その人が朝、何のために起きるのかが書かれている。
四時台を頼む人は、始発か空港だ。スーツケースの人は飛行機で、作業着の人は現場へ向かう。六時台は会議か試験。きちんとした服を着て下りてくる。そして、コールを頼まない人がいる。観光の人だ。明日は好きな時間に起きて、好きな場所へ行く。眠りの底に予定を持たない人の翌日は、いちばん自由なのだろう。
「念のため、二回お願いします」と頼む人がいる。一回目の五分後に、もう一度。そう言う人の翌日は、たいてい大事な日だ。寝過ごせない理由がある。商談か、面接か、それとも家族の何かか。私は理由を聞かない。聞かないけれど、二回という数字を見ると、その人の朝に背中を押すような気持ちになる。
自動コールと、手動のコールがある。設定画面に部屋番号と時刻を打ち込めば、機械が定刻に内線を鳴らしてくれる。たいていは自動で足りる。けれど「二回」や「もし出なかったら」といった但し書きのついた依頼は、私が手で鳴らすことにしている。機械は、出たかどうかを気にしてはくれないからだ。人の朝に責任を持つのは、やはり人なのだと思う。
出ない部屋がある。一回目で出ない。手順では、二分おいて二度目を鳴らす。それでも出なければ三度目を、こんどは切らずに鳴らし続ける。コール音が、誰もいないように響く受話器の向こうを想像すると、胸がざわつく。寝ているだけならいい。寝ているだけならいいのだ。鳴らし続けるか、部屋まで行くか。その判断を、フロントの時計の秒針を見ながら下す。秒針は、こういうとき妙にゆっくり動く。
三度目でも出ない部屋には、内線を鳴らしたまま、私は鍵を持って階段を上がる。エレベーターを待つ時間が惜しい夜がある。ドアの前で一度ノックをして、名前を呼ぶ。たいていは、寝ぼけた返事が返ってくる。返ってくると、私の足は急に軽くなる。何事もなかった朝の重さは、何かあった朝の重さを知らない人には、たぶん伝わらない。
先日、年配の男性が「モーニングコールをお願いするのが久しぶりで」と言った。スマホのアラームがあれば、本当はいらない頼みごとだ。それでもこの人は、人の声で起こされることを選んだ。スマホの無機質な電子音ではなく、生身の人間の「おはようございます」を。私はその選択の理由を聞かなかったけれど、人の声で起きることを選ぶ人が、この時代にもまだいるのだと、静かに胸が温かくなった。
定刻、私は内線の番号を押す。呼び出し音が二つ、三つ。受話器の向こうで、寝起きの「ありがとう」が聞こえる。声は人によって違う。すっきりした声、まだ半分眠っている声、緊張で少し硬い声。その「ありがとう」の寝起き具合で、私はその人の夜の深さを勝手に測る。よく眠れたんだな、とか、眠れなかったんだな、とか。
モーニングコールは、ただ人を起こす作業ではない。それは、見知らぬ誰かの大事な朝を、声でそっと支える仕事なのだ。人の声で起きることを選ぶというのは、きっと、信頼ということなのだと思う。今夜もまた、依頼簿に新しい時刻が書き込まれていく。誰かの翌日が、そこに並んでいく。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。