ナルセケンゴ(49歳・橋梁点検士22年)
叩いて見つけた損傷は、調書に残す。損傷図に番号を振り、同じ番号の写真を貼る。図のNo.7と、写真のNo.7。一本の糸でつないでおかないと、五年後に開いた人間が、どのひびのことだか分からなくなる。私は二十二年、その糸を結んできた。
写真は二枚で一組と決まっている。チョークでひびの両端に印をつけ、横にクラックスケールを当てる。透明な樹脂の板に0.05、0.1、0.2と幅の目盛りが刷ってあるあれだ。スケールと印を画面に入れて近景を一枚。それから三歩下がって、橋のどの部分かが分かる全景を一枚。近景はひびを、全景は場所を語る。片方だけでは、後から立てない。
私は黄色のチョークを使う。一年目に赤を使って、桁の影で黒く写り、目盛りが読めず撮り直した。それ以来、灰色のコンクリートには黄色だ。スケールの読みは、いちばん近い線でなく、広いほうの線に寄せる。0.15なら0.2と書く。橋に対して、安全側に。一度0.1と書いたら、次の点検者に鉛筆で「0.15では」と疑問を入れられた。あれから、迷ったら太いほうへ。
五年前の調書を開く。No.7、主桁下フランジの横ひび割れ、幅0.2。写真がある。私は今、同じひびの前に立っている。同じ番号、同じ場所。スケールを当てる。いちばん近い線は、0.3だった。五年で0.1、伸びた。タブレットに、五年前の近景を呼び出して並べる。同じ目盛りの板を、同じひびに当てた二枚。樹脂の板の冷たさだけが、五年前と寸分変わらない。
次に、五年前の全景と、今日の全景を重ねた。橋のどの位置かを語るための、引いた一枚どうし。重ねて、手が止まった。画面の縁の写り込み、床版の継ぎ目の角度、見上げる傾き。二枚は、ぴたりと同じだった。同じ全景を撮るということは、同じ場所に立つということだ。私は五年前の自分と、同じ継ぎ目に足を置いている。二枚で一組の作法が、立つ場所まで五年ごしにそろえていた。
調書を書く。ひびが0.2から0.3になった、と。指は「成長」と打ちかけた。二十二年も同じひびを見ていると、伸びた、育った、と書きたくなる。だが用語は「成長」ではない。「進展」だ。ひびは進展する。生き物ではない。私は「成長」を消して「進展」と打ち直した。三文字消して、二文字入れる。その一手で、橋への情を一つ、机に置く。
二十年前の調書もある。私が入る前、先輩が撮ったNo.7。同じ橋、同じ主桁。その全景と、今日の全景を、また重ねてみた。継ぎ目の角度が、同じだった。私が五年前の自分と立っていた場所は、二十年前の先輩が立っていた場所だった。橋の名前と、路線番号と、写真番号。素っ気ない数字の並びが、四人ぶんの「同じ場所に立った足」を、黙って記録していた。
No.7のひびは、私が辞めたあとも、誰かが同じ番号で、同じ継ぎ目に立って撮り続ける。0.3が0.4になる頃、私はもうゴンドラに乗っていない。橋を渡る人を見ないと決めて二十二年、最後に分かったことがある。長生きなのは橋のほうで、私のほうが、先に橋を渡る。