ネギシオサム(57歳・金庫屋33年)
金庫屋を三十三年やっている。開けるばかりが仕事ではない。家を移るとき、引っ越し業者は金庫だけ載せていかない。「金庫だけは専門で」と言われ、私が呼ばれる。家具の中で、金庫だけが動かない約束で何十年も座っている。重さで床を傷め、踊り場で角を曲がれない。私は中身を聞かない。聞くと手が中身に引っ張られる。私が測るのは、重さと、通り道だけだ。
見積もりは数字で始まる。耐火金庫は扉の鉄板の内に火に強いコンクリートが詰まっているから、空でも家庭用の中型で百五十キロ、業務用は三百キロを超える。私は型番を控え、巻尺で本体の幅と対角線を取り、踊り場の内寸と引き比べる。対角線が踊り場で回らなければ、その金庫はその家から出られない。窓を外すか、クレーンを呼ぶか、その場で決める。マンションの床は一㎡あたり百八十キロまでが目安だから、置く場所の鋼板の大きさも、ここで決まる。
帳場の隅に座った金庫があった。商売をたたんでからも、そこだけ動かさなかったらしい。床を見れば分かる。金庫の足の四点だけ、畳が褪せずに新しい。日に焼けなかった四角が、店のあった年月をそのまま残している。二階の和室の金庫は、扉の塗りが、人の手の触れる高さだけ剥げていた。新婚で二人で上げて、それきり降ろせなかったと、残った人がひとり、その剥げた高さに手を当てて言った。
「処分してください」の前に、私は一度、中を確認してもらう。空にしたつもりが、空とは限らない。先日も、奥の棚板の下から、古い通帳が一冊と、四つ折りの写真が出てきた。色のあせた、若い夫婦と、抱かれた赤ん坊。通帳の名義の字が、見ようとせずとも目に入った。私は見なかったことにして、型番の控えに目を戻した。中身は聞かない。それが流儀だ。施主は写真を、胸のポケットにしまった。
番号は手帳に書いてあるのに、ひとりでは開けられない、という依頼がある。だから立ち会いの下で、番号は施主が回し、最後のハンドルだけ私が落とす。その日の施主は、手帳を見ながら最後の数字で指が止まり、戻し、もう一度回した。かちりと当たりが来て、戸当たりのゴムが低く鳴った。私は半歩下がる。開いた扉の隙間から、耐火材の、雨に濡れた石のような匂いが流れた。施主の短い息がした。落胆も、安堵も、家族だけのものだ。それは師匠から教わった、開けた後の作法だった。
運び出しは段取りがすべてだ。通り道の床と壁を毛布と養生板で包み、階段は踏み板一段ごとに当て木を渡す。百五十キロを人の手だけで担ぐ段ではない。上の手すりにチェーンブロックを噛ませ、鎖を一目送るたび、金庫が一段下りる。下で底の角を持つ者の、指の付け根に重さの全部がかかる。一目、一段。汗が目に入っても手は離せない。鎖の音だけが、家じゅうに、かちり、かちりと響いていた。
新居では床のほうを直す。上階なら鋼板を敷き、四点でかかる重さを面に散らす。水平器を当て、扉が自重で動かないことを確かめる。傾いた床の金庫は、ひとりでに扉が開く。据え終えると、施主は金庫の前にしばらく立っていた。まだ表札も出していない家の、何も起きていない壁ぎわに、いちばん古い鉄の箱が座っている。私は道具をたたみ、養生をはがして、外に出た。
引き取った金庫は、耐火材を割って鉄と分け、廃棄に回す。手数料は重さで決まり、中型一つで一万円ほどいただく。鉄屑の山に積まれた金庫の、足の四点だけが、まだ褪せていない。あの帳場の畳と、同じ四角だ。私はその四角を、今日も誰かの家から、運び出している。