開かない、金庫
金庫屋一年目、開けた後の作法を教わるまで

ネギシオサム(57歳・金庫屋33年)

金庫屋の仕事を三十三年続けている。世間の人は、私のことを、開かなくなった金庫の前に呼ばれる人だと思っている。それで間違いはない。ただ、中身を聞かないのが私の流儀だ。何が入っているかを知ろうとすると、手が中身に引っ張られる。私は中身ではなく、開け方だけを考える。

呼ばれる金庫の多くは、亡くなった親のものだ。番号を知っていた人間が、もういない。ダイヤルの数字も、鍵のありかも、本人とともに消えてしまった。残されたのは、鉄の箱と、それを前に途方に暮れる家族だ。開かない金庫というのは、たいてい、誰かが死んだ後にやってくる。

私が金庫店に入ったのは一九九三年、二十四歳のときだった。最初の現場で、師匠の後ろに立った。古い家の、薄暗い和室だった。静寂の中で、ダイヤルを回す音だけが、かちり、かちりと部屋に響いていた。師匠の背中は大きく、私はそのうしろで息を詰めていた。

映画やドラマでは、金庫破りが聴診器を耳に当てる。あれは嘘だ。少なくとも、私らは聴診器を使わない。指で探るのだ。ダイヤルを回したときに、指の腹に伝わってくる、ごくわずかな引っかかり——クリック感とでも言うのだろうか。耳ではなく、指先がそれを拾う。師匠の指は、太いのに、信じられないほど繊細に動いていた。

けれど、私がその日いちばん驚いたのは、技術のほうではなかった。師匠は作業を始める前に、ダイヤルに手をかける前に、施主の老婦人にこう言ったのだ。「開いたら、中身はご家族だけで確認してください。私らは外に出ます」。私はその言葉の意味を、しばらく考えていた。

金庫の中身は、現金とは限らない。土地の権利書のこともある。古い手紙の束のこともある。そして、何も入っていないこともある。後で知った話だが、空の金庫に毎月の保管手数料を払い続けていた親もいたという。何も入っていない鉄の箱を、後生大事に守り続けていたのだ。だから師匠は、開いた瞬間に立ち会わない。落胆も、安堵も、家族だけのものだから。

金庫を開ける方法は、大きく二つに分かれる。壊して開けるか、壊さずに開けるか。錆びついて手のつけようがないものは、ドリルやバールで壊す。だがそれは最後の手段だ。鍵穴に細いスコープを差し込んで中を覗き、まだ生きている錠なら、壊さずに開ける道を探す。壊した金庫は、もう金庫ではなくなる。それは私にとって、少しさみしいことなのかもしれない。

開けた後の仕事もある。再びその金庫を使うなら、番号を設定し直す。亡くなった人の番号を、生きている人の番号に書き換える。役目を終えた金庫は、引き取って処分する。あの鉄の重さは、運んだ者にしか分からない。ずしりと、両腕にくる。中身が空でも、金庫はあんなに重いのだ。

あれから三十三年。私はずっと、開かない金庫の観察者であり続けてきた。開ける技術と、開けた後の作法。その両方を、私はあの薄暗い和室で教わった。思えば、金庫とは人生の縮図なのだ。固く閉ざされていても、いつか必ず、誰かの手で開けられる日が来る。師匠の言葉が、私をいまの私にしてくれた。今日も私の道具箱の中で、スコープとドリルが静かに並んでいる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。