ネジメカイ(42歳・ホタテ養殖20年)
軽トラの荷台に、破れたパールネットを積めるだけ積んで網屋へ向かう。時化が三日続いたあとだ。育成籠が二十も裂けた。獲る漁師は獲るために網を頼むが、俺が頼むのは育てるための網だ。海でつながった縁とでも言うのか、漁の網と養殖の網は、同じ店の同じ土間で仕立てられる。
店の戸を引くと、土間に網のにおいが満ちていた。イザヨイマナさんが、奥で網針を動かしている。漁網の仕立てひと筋で二十二年だという。手元だけが動いて、糸が目に吸い込まれていく。獲る網と育てる網が、同じ土間に並んで掛かっている。
俺は破れた籠の山を土間に下ろした。イザヨイさんは一つ手に取り、裂け目に指を入れて、目の伸びかたを見た。「波で揉まれたね」。それだけ言って、また網針に戻った。修理の山は、こっちの一年の苦労がそのまま積んである。見られると、少し気恥ずかしいような気もした。
育てる網には、逆の発想がいる。獲る網は、捕りたい魚が抜けない目合いにして、小さい魚を逃がす。俺の籠は逆だ。稚貝が逃げない細かさと、潮がよく通る粗さ——その両方を一枚の網で立てる。イザヨイさんは「獲るのと、逆さまだね」と言って、少し笑ったように見えた。
もう一つ相談したのは、付着物のことだ。ムール貝が網につくと、籠がどんどん重くなる。重い籠は潮で揺さぶられて、また裂ける。糸を太くすれば丈夫だが、目が詰まって潮が通らなくなる。太さと通りのあいだの、ちょうどいいところ。それを素材で詰めていく。イザヨイさんは何種類かの糸を出して、指でしごいて見せてくれた。
特注の籠は、浜ごとに違う。うちの浜は外海に近くて、波が深いところまで届く。だから籠は深さを抑えて、潮に逆らわない形にしたい。「浜の数だけ仕様があるよ」とイザヨイさんは言った。波の高さと、潮の速さと、稚貝の大きさ。それを聞き取って、図に起こしてくれる。
網針を動かしながら、イザヨイさんがふと言った。小さい魚を逃がす網と、貝を守って潮だけ通す網は、結局、同じ目合いの話なのだ、と。逃がすために粗くするのと、通すために粗くするのと。立ち話のように、淡々と。俺はうなずいた。海の上と海の中で、別々に生きてきた二人が、網目の一点で出会ったような気がした。
半月して、新しい籠が届いた。海に下ろす朝、最初の一本を持ち上げる。まだ何も付いていない、稚貝だけの軽さだ。この軽さが、秋にはロープの食い込む重さになる。獲る網と育てる網は、同じ網目の逆の役目なのだ。逃がす網と、守る網。海の上の人と、海の中の人。網針の一目が、それを静かに結んでいたのだと、いまでは思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。