ネジメカイ(42歳・ホタテ養殖20年)
採苗器を入れるのは、水温が七度を回って、潮が二、三日続けて湾の奥へ押す頃だ。早すぎれば幼生はまだ流れていない。遅れれば付くものが付ききった後の海に網を下ろすことになる。父はこの頃を「ひと潮、待て」とだけ言った。待つ二、三日が、その年の稚貝の数を半分にもする。
採苗器の中身は、玉ねぎを入れるあの赤いネットの袋だ。何枚も重ねて丸め、ロープに数珠つなぎにして沈める。ホタテの幼生は足糸という細い糸を出して物に絡む。袋の目はその足糸が引っかかる細かさになっていて、つるりとした板には付かないものが、この毛羽立った網には付く。海に下ろした玉ねぎ袋は、ひと月で重くなって戻ってくる。
夏のはじめ、採苗器を引き上げる。袋の中に、米粒より小さい稚貝が付いている。一袋に数千。指でつまめば潰れる薄さだ。これをふるいにかける。三ミリ目で大きいゴミと殻を落とし、二ミリ目で育った稚貝を受け、一ミリ目を抜けた分はまだ早い。ふるいを揺すると、受かる貝は底でじゃりじゃりと鳴り、抜ける貝は音もなく落ちていく。抜けた小さい分は、別の籠でもう一段、育て直す。海に返す慈悲はない。育てるか、死ぬかだ。
込み合った籠の貝は、育たない。餌が足りず、殻がぶつかって縁が欠ける。これは理屈ではなく、籠を上げれば手に分かる。同じ日に入れた貝でも、詰めすぎた籠のほうが軽い。だから詰め替える。一つの籠の稚貝を、いくつもの籠に分けて、密度を下げる。分けた翌月、軽かった籠の貝が、ちゃんと重くなって戻ってくる。それで分けることの値打ちが、毎年、手のひらに返ってくる。
中間の住まいは、パールネットという丸い籠だ。何段にも積み上げて沈める。同じロープでも、上段と下段では潮の当たりが違う。籠を上げて、上段の貝と下段の貝を片手ずつに取ると、重さがはっきり分かれる年がある。潮の当たる上段が重く、下段が軽い。逆の年もある。貝の付き方より先に、手がその偏りを当てる。重いほうを基準に、軽い段の貝を抜いて、また分ける。前作で父に教わった「触診」は、耳吊りの前のこの籠で、すでに始まっている。
稚貝には、自前で採るものと、買うものがある。玉ねぎ袋で自分の海から採った稚貝はただだが、付く年と付かない年の差が大きい。よその浜から半成貝を買えば確実だが、一万枚で十数万が飛ぶ。だから、自前の採苗器を引き上げて袋の付きを見てから、買う枚数を決める。付きの悪い年は五千、まずまずの年は二千だけ買い足す。出来を見てから財布を開く。順番を間違えると、要らない稚貝に金を払うか、足りない籠を空のまま沈めることになる。
春の浜は、人が出る。母が稚貝をふるいにかけ、季節の手伝いのおばさんたちが籠に詰め、俺が船に積んで沖へ運ぶ。ふるいを揺する音、籠を重ねる音、潮を含んだ稚貝の匂い。数ミリだった貝が、夏の終わりには三、四センチになる。秋になれば、この貝の耳に穴を開けて、ロープに吊るす。耳吊りだ。いま俺は、育った稚貝の入った籠を一つ上げて、その重さを確かめてから、空のロープを手に取る。