耳吊りの、海
家業を継いだ年、海の中は見えないと教わるまで

ネジメカイ(42歳・ホタテ養殖20年)

海と共に生きて二十年になる。船から下ろしたロープの先は、五メートルか十メートルか、その下の暗がりに消えている。そこにホタテがいる。見えない。見えないものを育てるのが、この仕事だ。

二〇〇六年の春、父の体が動かなくなって、家業を継いだ。二十二歳だった。継ぐと決めてはいたが、こんなに早くとは思っていなかったように思う。最初に父に言われたのは、海の話ではなかった。「海の中は見えん。ロープを持て。重さで分かる。貝が育っとるか、ゴミが付いとるか」。それだけ言って、父は黙った。

ロープを引いた。手のひらに、おもりの重さとは違う、ぶら下がったものの重さが伝わってくる。育った貝の重さと、付着物の重さは違う。貝はずっしりと、けれど均してかかる。付着物はもっとぬめって、まだらに重い。指がそれを覚えるまで、ひと冬かかったと思う。父の言う「触診」が、少しずつ分かってきた。

耳吊りの春は、家じゅうが浜に出る。稚貝を確保して、貝の耳——蝶番のそばの平たいところ——に、専用のドリルで小さな穴を開ける。そこにテグスを通して、何百本というロープに吊るしていく。母が穴を開け、季節労働のおばさんたちが吊るし、俺が船に積む。同じ動作を朝から晩まで、何万回。指先が穴の位置を覚えていく。考えなくても、手が貝の耳の正しい場所を探り当てるようになる。

ホタテには居候がつく。ムール貝とホヤだ。ロープにびっしりと付いて、ホタテの餌であるプランクトンを横取りする。放っておけば、本来太るはずだった貝柱がやせる。だから掃除する。引き上げて、こそげ落として、また沈める。海の中で起きている餌の奪い合いを、俺はロープの重さの内訳として読んでいる。重いのが貝なら嬉しい。重いのが居候なら、ため息が出る。

夏は水温を見る。継いだ年は、八月の表層が二十六度を超えた日が何日もあった。ホタテは冷たい海の貝だ。二十三度を超えると弱り、二十六度が続くとへい死する。引き上げたロープに、口を開けたまま死んだ貝がいくつもぶら下がっていた。重さはあるのに、中身がない。あの軽い重さを、なんと呼べばいいのか、いまでも分からない。海水温の数字は、年々、静かに上がっている。

時化の前には、ロープを沈める深さを変える。表層は波で揉まれる。深いところは穏やかだが、餌も少ない。天気図と、漁協の無線と、長年の勘で、何メートル下ろすかを決める。深さ一つで、貝が無事か、テグスが切れて一年分が海の底に散らばるかが決まる。見えない深さを、頭の中の数字で当てにいく。

秋から冬、水揚げの季節は選別だ。大きさと、貝柱の充実で分ける。殻を透かさなくても、手に持った重心で貝柱の入り具合はだいたい分かる。浜値は、この選別で決まる。大きく、貝柱の詰まった貝が高く売れる。一年、ロープの重さで読み続けた成育の結果が、ここで数字になって返ってくる。

あれから二十年、俺はロープの重さの観察者になった。海と共に生きるというのは、海を見ることではなく、見えない海を手で読むことなのだと、いまでは思う。あの日、父が握らせたロープの重さが、俺をいまの俺にしてくれた。今日も船の上で、暗がりに消えるロープを、俺は静かに引き上げている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。