出汁の、講座
問屋が、伝える側に立つ日

ニノヘアオイ(54歳・昆布問屋32年)

月に一度、店の二階で出汁の教室を開いている。昆布問屋を三十二年やってきて、私は売る側の人間だと思ってきた。蔵で寝かせ、料亭と乾物屋へ卸す。それが商売だった。けれど今は、月に一度だけ、伝える側に立っている。食の知恵を次の世代へつないでいくのは、私たち昆布屋に課せられた使命なのかもしれない。

始まりは近所の料理教室からの依頼だった。三年前、教室の先生が「だしの話を一度してほしい」と店に来た。一回きりのつもりが、終わったあとに何人かが「来月もあるなら来たい」と言った。それで二回目をやり、気づけば常設になっていた。売るだけが問屋の役回りではないのだと、そのとき初めて思った。

授業は飲み比べから始める。真昆布の出汁と、羅臼の出汁を、同じ椀に同じ量だけ取って、二つ並べて出す。先に言葉で説明はしない。まず飲んでもらう。真昆布は澄んで角がなく、羅臼は香りが太い。並べると、誰の舌でも違いが分かる。言葉より先に、舌が分かる授業にしたかった。

次に水出しと煮出しを実演する。水出しは、前の晩から昆布を水に沈めておく。一晩、八時間ほど。煮出しは、水から入れて、沸く直前で引き上げる。六十度から七十度のあたりで、それ以上は煮立たせない。家庭の台所でできる範囲の本気を見せたかった。温度計を回して、各自に触らせる。

質問でいちばん多いのは、「スーパーの昆布と何が違うのか」だ。私は正直に答える。等級が違う、浜が違う、寝かせた年月が違う。だから値段も違う。安い昆布が悪いわけではない、毎日の味噌汁ならそれで十分だ、と言う。隠さずに値段の理由を言うと、かえって信用してもらえる気がする。

先月、小学生が母親と来た。飲み比べの羅臼を一口飲んで、その子が「あまい」と言った。砂糖の甘さではない。出汁のうまみを、語彙の少ない舌が「あまい」と訳したのだ。私は何も足していない。昆布と水だけだ。その子の舌が、まっすぐにそれを拾った。子供の舌は、大人より正直なのかもしれない。

教室の後、何人かが一階の売り場に降りてくる。以前は値札と産地名を見て選んでいた人が、いまは「さっきの真昆布はどれですか」と聞く。澄んだ出汁を取りたいから真昆布を、と自分で選べるようになる。講座が、買い方を変えていくのを、売り場で見る。伝えることは、売ることと地続きだったのだと思う。

三十二年、私は黙って昆布を寝かせてきた。蔵の中の時間は、言葉を持たなかった。けれど月に一度、人前で出汁を取るようになって、その時間に言葉が付いた。伝える言葉を持つことが、蔵の仕事そのものを変えていくのだ。売るだけだった私の手が、いまは少しだけ、教える手になっている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。