蔵囲いの、年(第二稿)
問屋に入った年、時間を売る商売を教わるまで

ニノヘアオイ(54歳・昆布問屋32年)

昆布問屋を三十二年やっている。北の浜から仕入れ、うちの蔵で寝かせ、料亭と乾物屋へ卸す。獲れたての昆布は磯臭い。蔵で一年置くと角が取れ、二年目に甘い香りが乗る。同じ浜の同じ等級の一枚でも、寝かせた年でまるきり別物になる。

入ったのは一九九四年、二十二歳の春だった。私は儲けというのは仕入れ値と売値の差のことだと思っていたし、蔵で寝かせるのは置き場がないからだと思っていた。蔵の隅で、先代が前の年に入れた羅臼の束を一枚抜いて、私の鼻先に寄せた。磯の匂いがもう薄れて、奥に出汁のような甘さがあった。

先代はそれを戻しながら言った。「昆布は採った日が始まりだ。うちの蔵で二年目、三年目になっていく。問屋は時間を売る商売だ」。物を仕入れて売るのが商売だと思っていた私は、その言葉を、しばらく額面どおりには受け取れなかった。

昆布は浜の名で出来ている。羅臼の中でも、白口浜と黒口浜では値が違う。利尻、日高、真昆布、それぞれに浜の順位がある。一九九三年は冷夏で道南の真昆布が痩せた。逆に九一年の羅臼は当たり年で、その白口浜を先代は九四年になっても後生大事に蔵で寝かせていた。先代は産地を県名では呼ばない。浜の名で呼ぶ。私もそうなった。

検品は一枚ずつ手でやる。折れ、色、肉厚。最初の半年は、目で見ても良し悪しが分からなかった。ある日、束をめくっていて、指の腹が一枚で止まった。なぜ止まったのか自分でも分からないまま見直すと、ほかより肉が締まって、表面が指に吸いついた。手のほうが先に等級を覚えていた。先代に見せると、削る手も止めずに「それが一等だ」と言った。

料亭のだしには店ごとの好みがある。澄んだ吸物の椀には雑味の出ない利尻の上を、力のいる煮物の出汁には肉厚の日高を。私は注文を聞くと、その店の椀の色を思い浮かべ、蔵のどの年のどの浜を出すかを決めるようになった。削り屋の職人に回す分もある。彼らの刃は、私が寝かせた時間に、もう一つ別の時間を薄く重ねていく。

海が温んで、昆布は年々減っている。去年も道東は不漁だった。それでも商いが切れないのは、蔵に何年も前の昆布が残っているからだ。獲れない年に、過去の当たり年が効く。あの九一年の白口浜が品薄の年に客を繋いだのを見て、先代の「時間を売る」が、ようやく言葉ではなく在庫の重さで分かった。

三十二年で売った昆布は数え切れない。どれも覚えていない。覚えているのは、寝かせた年のほうだ。九一年の羅臼、白口浜。鼻先に寄せられた、あの甘さ。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。