ニノミヤレイ(46歳・額装職人24年)
額装の仕事を二十四年している。絵を預かり、その絵に合う額を選び、絵と額のあいだに敷く台紙——マットを選び、ガラスを入れて組む。お客が「いい絵だね」と言えば成功、「いい額だね」と言えば失敗だ。
二〇〇二年、二十二歳で工房に入った。親方は無口で、最初の三日はただ刃を研がされた。四日目、親方が一枚の水彩を持ってきて私の前に置いた。葉書ほどの大きさで、矢車草を二、三本、青と灰で描いた絵だった。右下に鉛筆で小さく頭文字。紙は目の粗い水彩紙で、茎のあたりに滲みが一つ残っていた。
親方は、色も幅も違うマットを何枚も、入れ替えながらその絵にあてがっていった。白いマットを指三本ぶん広く取ると、矢車草は静かに、品よく見えた。同じ絵に、生成りを爪一枚ぶん細く取ると、急に、土の匂いのする絵になった。絵は一筆も変わっていない。変わったのは、絵の周りの何もない部分の幅と色だけだ。同じ絵が、別の絵になった。私は声を失った。
親方は言った。「額を見せるな。絵を見せろ。いい額装は、額を覚えていない」。それだけ言って、マットを片づけた。その言葉は、いまも工房の壁に貼ってある。
マットの窓抜きは、いちばん緊張する。マットカッターの刃を四十五度に寝かせ、台紙の裏から手前に引いて、絵を見せる窓を抜く。断面が斜めに光る。これを面取りという。コーナーは一発勝負だ。線の終わりで刃を一ミリ引きすぎると、隣の辺の切り口と交差して、表に小さな鉤裂きが出る。オーバーカットという。逆に止めすぎれば、抜いた窓が角で残ってつながらない。最初の年、私はオーバーカットばかりやった。刃が紙の繊維を抜けるとき、スッと軽くなる手応えがあって、その軽さに一瞬気を許すと、もう一ミリ行っている。捨てた台紙が、机の下の箱に溜まっていった。
表に入れるのはガラスかアクリルか。ガラスは平滑で美しいが重く、割れれば作品を切る。アクリルは軽く割れにくいが、傷がつく。紫外線をどれだけ止め、反射をどれだけ抑え、窓辺に掛けるのか暗い廊下に掛けるのか。お客は気づかないが、見え方の半分は、この透明な一枚が決めている。
持ち込まれるのは、絵だけではない。子どもがクレヨンで塗りつぶした画用紙。亡くなった祖母の刺繍。引退した選手の、汗の塩が白く残ったユニフォーム。そして遺影。ある日、遺影を持ってきた老人が、写真の余白を指でなぞって「ここ、もう少し広く取れますか」と言った。広いマットは、写真の人物を遠くする。遠くすることで、見ていられるようになる人がいる。私はその日、自分が紙ではなく、人の見ていられる距離を作っているのだと知った。
美術館の仕事では、保存額装をやる。百年後に開けても作品が傷まないよう、酸を含まない中性紙だけで包む。接着剤も、空気の通り道も、すべてが百年の側を向いている。最後に、額の重さと、掛けたとき絵の中心が目線のどこに来るかを計算して、裏の吊り金具の高さを決める。私が死んだあと、誰かがこの絵を見上げる高さを、いま決めている。
二十四年で組んだ額は数え切れない。いい額装をしたものは、一つも覚えていない。覚えているのは、矢車草の滲みと、塩の白いユニフォームと、遠くしてくれと言われた遺影の余白だ。