ニノミヤレイ(46歳・額装職人24年)
毎年、春と秋に、工房の時間が止まったみたいに忙しくなる。公募展の締切前だ。同じ会の出品者たちが、申し合わせたように同じ規定サイズの額を頼んでくる。規格は決まっている。号数も、外寸の上限も、ガラスの代わりにアクリルを使うことも。私のところには、同じ箱が何十も並ぶ。けれど、その箱に入る絵は、一枚として同じではない。夢を託す人たちの作品を、裏方として支えるのが、私の仕事なのだと思う。
同じ規定サイズの枠を、量産する。とはいえ、ただ同じものを作っているわけではない。木地を切り、留めを四十五度で合わせ、組む。ここまでは確かに流れ作業に近い。手が勝手に動く。だが、その先で一枚ずつ立ち止まる。同じ外寸の枠でも、中に入る絵が違えば、マットの窓の大きさも、台紙の色も、敷きの深さも変わる。規格という同じ服を、体つきの違う絵に着せていく。同じ枠だからこそ、中で何を変えるかだけが、私の領分として残る。
画家は、たいてい言葉少なに来る。「この絵に合う額を」。それだけだ。けれど、それを真に受けて額を選ぶ職人はいない。私は絵の前にしゃがんで、色を数える。この夕景なら、空のいちばん明るいところの黄か、それとも手前の影に沈んだ赤紫か。どの色を拾ってマットに置くかで、絵の重心が動く。明るい黄を拾えば絵は前へ出てくるし、影の赤紫を拾えば絵は奥へ引っ込んで、静かになる。「合う額を」という五文字を、私は色の選択に翻訳する。画家が口で言わなかったことを、絵の表面から読み取る。それが翻訳というものなのかもしれない。
搬入の日。私は自分の組んだ額を台車に積み、会場へ運ぶ。展示室に入ると、空気が変わる。まだ何も掛かっていない白い壁と、床に立てかけられた、他人の作品の列。ここから先は、白手袋をはめる。綿の白手袋。指の腹で額の角を持ち、ガラス面には決して触れない。自分の額だけならいい。問題は、他人の作品の間を、それを縫うようにして自分の額を運ぶときだ。誰かの一年が、すぐ脇に立てかけてある。肘一つ、踵一つが凶器になる。会場の搬入は、運送ではなく、息を詰める時間だ。
展示の高さには基準がある。多くの会場で、作品の中心——センターを、床から百四十五センチや百五十センチに揃える。背の高い絵も低い絵も、中心の高さだけは一本の見えない線で結ばれる。人の目線がそこを通るからだ。私は脚立に乗り、メジャーを垂らし、額の中心がその線に来るよう吊り位置を直す。ここで効いてくるのが、会場の照明だ。天井のライトが斜めから差すと、額のガラスに光の帯が映り込む。中心の高さを一センチ動かすだけで、その帯が絵の上をすべって、消える位置がある。私は何度も脚立を上り下りして、その一センチを探す。
会期が終われば、引き取りの日が来る。入選作と、落選作と。落選作を取りに来る人への言葉遣いには、いつも迷う。私は額装屋であって審査員ではないから、結果には触れない。ただ、「額はそのままにしておきますね」と言う。落選しても、額は剥がさない。剥がせば、次の公募までにまた同じ出費がいる。額をそのまま残すというのは、たぶん、次もまた出してください、という意味だ。けれど、それを言葉にはしない。剥がさない、という行為のほうに、声をかける距離を預ける。
撤収は、搬入より速い。あれだけ神経を使って掛けた額が、最終日の夕方には、ものの一時間で壁から消える。緩衝材で角を包み、毛布をかけ、台車に積む。来たときと同じ箱に、同じ絵が戻る。会場が、また白い壁に戻っていく。あの祭りのような数日が嘘みたいに、何もなかった部屋に戻る。残るのは、壁にうっすら残った、額の影の四角だけだ。
会場を歩いていて、たまに、自分の組んだ額の前を素通りしそうになることがある。絵だけが目に入って、額が見えない。客が額の存在を忘れ、絵の前で足を止める。並んだ額縁が、会場で「消える」瞬間だ。これこそが、いい額装の証だ。額を見せず、絵を見せる。会場でも絵だけが見えるとき、私の仕事は成功している。絵だけが見えるのが、私の勝ちなのだ。今日も私は、白手袋をポケットにしまって、会場を出る。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。