充電の、世代
市場から音が消えていく、その朝の話

ニシハタゴウ(52歳・市場のターレ運転手30年)

夜明け前の市場に、もう排気の匂いはしない。エンジン式のターレが充電式に替わって、車は静かになった。かつては百台のディーゼルが一斉に唸り、その音の中で一日が始まった。いまは、静寂の中で、市場はそっと目を覚ます。時代は、こうして音もなく移り変わっていくのだろう。

充電式のターレは、走り出す前に残量を見る。昔は燃料計だった。半分を切ったら給油に行く。いまは数字とバーで残量が出る。八〇パーセント、六〇パーセント。一日のうちにどこで充電を挟むか、朝の段階で頭の中に組み立てておく。重い氷の日はバッテリーの減りが早い。だから氷の入荷が多い朝は、昼前にいったん充電スタンドへ戻る、と決めて走り出す。

充電スタンドは、市場の隅に列をなしている。早く来た者から差し込んでいくから、出遅れると空きがない。満杯の朝は、誰かが抜くのを待つか、別の棟のスタンドまで回る。コンセントの取り合いだ。三十年前、燃料は給油所が一手に握っていたが、いまは電気が、あちこちの壁から市場の床へ垂れている。その細いケーブルの一本一本に、運転手の一日がぶら下がっている。

静かになって、いいことばかりではない。むしろ怖くなった。エンジン式は、近づけば音でわかった。背中を向けて働く人も、唸りが大きくなれば、なんとなく端へ寄ってくれた。充電式は、ほとんど無音で迫る。歩行者が振り向かない。気づかれないまま、すぐ後ろまで行ってしまう。ヒヤリとする回数は、静かになってから、明らかに増えた。

だから声を出す。「通るよ」「うしろ」。エンジンが鳴らなくなったぶん、声の仕事が増えた。昔は車が自分のかわりに鳴いてくれていた。いまは、自分の喉で道を開ける。皮肉なものだ。静かで快適な車になったのに、運転手の口はかつてより忙しい。技術が進めば人の手は減ると思っていたが、減った音のぶん、別のところで手が増えていた。

ある朝、充電を忘れた。前の晩に差し込んだつもりが、コンセントが半挿しで、朝来たら残量が一桁だった。慌てて会社の借りターレに乗り換える。借りた車は、自分のとアクセルの癖が違う。ブレーキの遊びも違う。床の濡れた一筋を、いつもの距離で止まれない。借り物の車で走る一日は、三十年乗った身体の地図が、少しずつずれていくようで落ち着かなかった。

市場には、いまもエンジン式が数台だけ残っている。年配の運転手が、それを選んで乗る。「あの音がないと調子が出ない」と言う。充電式はいくらでも替えがあるのに、その人たちは朝いちばんに古い車の鍵を取りに行く。唸りを上げて走るその数台は、市場の中で、消えゆく時代の最後の灯のように見えた。誰もが、自分の身体に馴染んだ音を手放したくないのだ。

変わったものを数えればきりがない。匂い、音、燃料計が残量表示に。スタンドの場所取り、声かけの頻度。けれど、変わらないものもある。床の濡れだ。朝いちばんは乾いていて、セリが始まると水がまかれ、氷が溶けて、昼へ向かって市場じゅうが濡れていく。その一筋を、長靴の底が覚えている。車がどれだけ静かになっても、床はいつもどおり滑る。

音は変わった。匂いも変わった。それでも、俺がやっていることは三十年前と同じだ。荷を見て、床を見て、止まれる場所を引き直して走る。市場の音が変わっても、ターレの道は変わらないのだ。静かになった市場で、俺は今朝も声を出しながら、濡れていく床の上を、ゆっくり走り出す。きっと、これからもそうやって走っていくのだと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。