ニシハタゴウ(52歳・市場のターレ運転手30年)
ターレに三十年乗っている。正しくはターレットトラック、市場の中だけを走る運搬車だ。立ったまま運転する。荷台にものを積んで、セリ場から仲卸の店へ、店からトラックの積み場へ運ぶ。市場には血が流れている、と人は言う。その血を流しているのが、俺たちターレ運転手だ。市場の活気は、朝の光の中で、いつもこの小さな車から始まる。
市場に入ったのは一九九六年、二十二歳のときだった。運搬会社の面接で、親方は俺の顔も見ずに「明日から来い」と言った。来てみると、いきなりターレに乗せてもらえると思っていたのに、最初の三日、ハンドルにすら触らせてもらえなかった。やらされたのは、ただ市場の中を歩くことだった。
親方は俺を連れて通路を歩きながら、ときどき立ち止まって、床を指さした。「ここは滑る」。何の変哲もない、コンクリートの床だった。「ここも」。少し先で、また指さす。俺には同じに見えた。親方は言った。「水の流れる道があるんだ。製氷機からセリ場まで、氷の溶け水がいつも同じところを通る。そこが滑る」。言われてみれば、たしかにその一筋だけ、色が濃かったような気がする。
市場の通路には、地図に載っていない優先順位がある、と親方は言った。セリの時間帯には主動線というものがあって、その流れに逆らってターレを入れると、人もものも全部が止まる。人が飛び出してくる角は決まっている。仲卸の店の、商品を出し入れする側の角だ。「目で見て覚えるんじゃない。何回もぶつかりそうになって、体で覚えるんだ」。たぶん、そういうことなんだろうと思う。
四日目、ようやくターレに乗せてもらえた。アクセルを踏むと、思っていたよりずっと素直に前に出る。嬉しくなって少しスピードを上げたら、親方が後ろから怒鳴った。「止まれる速さでしか走るな」。ターレにはまともなブレーキがない。正確には、あるのだが、荷を積んでいると効きが全然違う。「ターレは急に止まれない。だから、止まれる速さでしか走るな」。この言葉を、三十年、毎朝思い出している。
荷の積み方ひとつで、車はまったく別物になる。発泡スチロールの箱を高く積めば、重心が上がって、角で揺れる。氷を多く積んだ日は重い。重ければ重いほど、止まるまでの距離が伸びる。床が濡れていれば、もっと伸びる。だから俺は、走り出す前に、荷を見て、床を見て、頭の中でその日のブレーキの距離を引き直す。荷の重さと床の濡れで、止まれる場所は毎朝変わるのだ。
市場では、クラクションをあまり鳴らさない。少なくとも、いい運転手は鳴らさない。鳴らすかわりに、声を出す。「通るよ」「あぶないよ」「うしろ」。狭い通路で、何百人もが背中を向けて働いている中を、声で道を開けてもらいながら進む。クラクションは命令だが、声は挨拶だ、と古い運転手が言っていた。なるほどな、と思った。
この二十年で、ターレはエンジン式から充電式に変わった。静かになった。排気の匂いがしなくなって、最初は物足りなかったが、すぐに慣れた。変わらないのは、床の濡れ方だ。朝いちばん、まだ乾いている床。セリが始まって、水がまかれ、氷が溶けて、昼に向かって市場じゅうが濡れていく。その濡れ方の一日の変化を、俺の長靴の底が覚えている。底の減り方が、いつも左の外側から先に来る。たぶん、いつも同じ角を、同じ向きで曲がっているからなんだろう。
あの三日間、歩かされた意味が、いまならわかる。親方は、運転を教えていたのではなかった。道を教えていたのだ。市場の道には、目に見える道と、目に見えない道がある。滑る道、人が出る道、流れの道。三十年、俺はその見えない道を見つづける、市場の道の観察者になった。ターレの、あの一筋の道が、俺をいまの俺にしてくれたのだと思う。今朝も、まだ乾いている床を、俺はゆっくり走り出す。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。