ニシナミズキ(34歳・植物検疫官12年)
植物検疫官という仕事を、十二年続けている。空港や港に届く果物、野菜、切り花、苗木を検査して、日本にまだいない病害虫を、国境のこちら側へ入れないための仕事だ。国境というと線を思い浮かべる人が多いけれど、私にとっての国境は、検査台の上にある。ステンレスの台と、ルーペと、顕微鏡。そのわずかな範囲が、見えない侵入者から国土を守る最後の一線なのだと思う。
二〇一四年、二十二歳で植物防疫所に入った。配属されて最初の数週間、私は虫を探していた。届いた切り花の束を一本ずつ広げ、葉の表を、裏を、目を凝らして見た。けれど、何も見つからなかった。虫はいないのだろうと思っていた。そう思っていたと思う。
その日、指導役の先輩が私の手元を覗き込んで言った。「虫を探すな。痕跡を探せ」。私が顔を上げると、先輩は続けた。「虫は隠れる。葉の裏にもぐるし、茎の中にも入る。でも、食べた痕と糞は隠れない。虫がいなくなっても、痕跡は残る」。その言葉は、いまでも私の仕事の芯にある。
言われてみれば、葉には痕があった。さっきまで「きれいな葉」だと思って通り過ぎていた一枚に、縁から内側へ向かって、半円形にかじられた跡があった。別の葉には、表皮の下にうねうねと白い筋が走っていた。何かが葉の内側を、潜るようにして食べ進んだ痕だった。食痕の形は、虫によって違う。縁から食べるもの、穴を開けるもの、葉の中にトンネルを掘るもの。痕の形から、虫の種類を絞っていく。それは推理に似ていた。
果実には、産卵痕というものがある。ミバエの仲間が果皮に針を刺して卵を産むと、そこに小さな点が残り、やがて周りが少しへこむ。表面はほとんど無傷に見えるのに、中では幼虫が育っている。木材や苗木なら、木屑だ。穴の脇に粉のような木屑が落ちていれば、中に穿孔性の虫がいる。見えているのは痕跡だけで、虫はいつも、その奥に隠れている。
痕跡から虫を絞り込んだら、今度は本体を探す。葉を裂き、果実を割り、茎を割る。出てきた数ミリの虫を、図鑑と照らし合わせて同定する。日本にすでにいる虫なら、消毒して通す。いてはならない虫なら、その荷は消毒か、廃棄か、返送になる。一束の切り花のために、産地まで送り返すこともある。私が台の上で見つけた数ミリの一匹が、海を越えてきた荷全体の運命を決めてしまう。その重さに、最初は手が震えた。
つらいのは、旅客の手荷物だ。海外旅行のお土産にと、スーツケースの底からマンゴーが出てくる。本人にとっては、ただの果物だ。けれど、その果肉の中に、ミバエの幼虫がいるかもしれない。私は手続きを説明し、それを没収する。「中に虫がいるかもしれないんです」と言っても、なかなか伝わらない。見えないものを理由に、目の前の果物を取り上げる。心苦しさは、十二年経っても慣れない。それでも、見えないからこそ、誰かが水際で見ていなければならないのだと思う。
検査台を離れても、仕事は続く。世界のどこで、どんな病害虫が発生したか。その情報を地図の上で追いかける。あの国であの害虫が広がったなら、そこから来る荷は、今までより念入りに見る。痕跡は、台の上だけにあるのではない。地球の裏側の発生情報もまた、これから来るかもしれない侵入者の、痕跡なのだった。
この仕事には、不思議なところがある。何も見つからない日が、いちばん良い日なのだ。一日中、葉をめくり、果実を割り、それでも何も見つからなかった。その日、私たちは「今日は何もなかった」と報告書に書く。何もないことを確かめるために、痕跡を読み続ける。あの日、先輩に「痕跡を探せ」と言われてから、私は虫を探す人ではなく、痕跡を読む観察者になった。見えない侵入者を見ようとし続けたあの一日が、いまの私をつくってくれたのだと思う。検査台のルーペは、今日も光を集めている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。