切り花の、コンテナ
母の日の前の、誰も知らない数日

ニシナミズキ(34歳・植物検疫官12年)

四月の終わり、検査台の上が花でいっぱいになる季節が来る。母の日に間に合わせるために、世界中からカーネーションが船で運ばれてくる。輸入される切り花には一年で何度か山があるけれど、この時期がいちばん大きい。検査台に立つ私たちにとって、母の日は、花の命が静かに語りかけてくる季節でもある。

港に着いたリーファーコンテナの前に立つ。リーファーは、冷蔵設備のついたコンテナのことだ。扉を開ける瞬間が、私はいつも少し緊張する。背の高い鉄の扉を二人がかりで開けると、中から冷気と、花の香りの壁が一度に押し寄せてくる。摂氏二度か三度に保たれた空気が、外の四月の暖かさとぶつかって、白い靄になる。その靄の向こうに、段ボールが天井まで積まれている。

一本ずつ見ることは、できない。一つのコンテナに、カーネーションが何万本も入っている。だから抜き取って見る。サンプリングという。荷の量に応じて、何箱を開け、その中から何束を抜くか、決まりがある。決まりに従って手を伸ばし、束を抜く。抜いた束が、その荷の全部を代表することになる。私が抜かなかった束のことは、誰も見ない。統計の決まりが、見る花と見ない花を分けている。

抜いた束を、台の上で開く。花びらの奥、萼の付け根、葉の裏。アザミウマは小さい。一ミリあるかないかで、花弁の重なりの奥に潜む。だから叩き出す。白い紙を台に敷いて、その上で束をとんとんと叩く。すると、紙の上に小さな点が落ちる。動く点だ。アザミウマか、ハダニか。ルーペを当てる。ハダニなら、葉の裏に細かい糸と、針で刺したような白い斑点が残っている。点が動くのを見るたびに、私はやはり、と思う。きれいな花ほど、奥に何かがいる。

見つけたら、次はくん蒸を考える。くん蒸庫に荷を入れ、薬剤を充満させて虫を殺す。けれど、くん蒸は花を傷めることがある。薬剤に弱い品種は、花弁の縁が茶色く変わったり、開きが鈍くなったりする。虫を殺せば荷は通るが、通った花が母の日に売り物にならないなら、業者にとっては廃棄と同じだ。殺虫と品質のあいだで、私はいつも判断を迫られる。どちらを取るべきか、正直に言えば、迷うこともある。

判断しているあいだにも、電話が鳴る。輸入業者だ。「まだですか」と訊かれる。花は鮮度が命だ。検査で一日止めれば、その一日ぶん、店頭に並ぶときの花の寿命が削られる。業者は時間を惜しむ。私は規定を曲げられない。けれど、検査の速さもまた、花の品質の一部なのだ。だから私たちは、止める時間をできるだけ短くしようと、抜いた束を、いつもより速く、けれど雑にはならないように見る。

くん蒸が決まれば、荷はくん蒸庫へ回る。決まらなければ、消毒して通す。通った荷は、トラックに積まれて市場へ運ばれ、仲卸を経て、花屋の店先に並ぶ。母の日の朝、店頭にカーネーションが溢れる。それを買っていく人は、その花が数日前、港のリーファーの中で冷えていたことを知らない。叩き出しの紙の上を、小さな点が歩いたことも知らない。

知らなくていい、と思う。花を渡された母親が、検疫のことを考える必要はない。けれど、誰かが見ていなければならない。見えない虫のために、見えない数日があって、その数日を、私たちは検査台の上で過ごしている。

母の日の花は、こうして店に並ぶ。港の数日を経て、虫の点を叩き落とされ、くん蒸の判断をくぐり抜けて。検査の速さも品質の一部なのだと、私はこの季節になるたびに思う。花の命を、いちばん良い状態で母親の手に渡すこと。それもまた、水際に立つ私の仕事なのだと、いまでは思う。今年も母の日が、近づいている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。