ニシナミズキ(34歳・植物検疫官12年)
切り花の検査は、その日のうちに終わる。叩き出して、ルーペを当てて、虫がいるかいないかを決める。けれど苗木は違う。果樹の苗木は、見ただけでは何も分からない。だから育てる。隔離された圃場で、何か月も、ときには何年も育てて、病が出るのを待つ。命を預かるというのは、こういうことなのだと思う。
輸入される果樹の苗木は、隔離検疫の対象になる。リンゴ、ブドウ、カンキツ。新しい品種を入れたい生産者が、海外から穂木や苗を取り寄せる。けれど、そのまま産地に渡すわけにはいかない。果樹のウイルス病は、苗の見た目には出ないことが多いからだ。葉も枝もきれいなのに、中にウイルスを抱えている。だから一度、隔離圃場という場所で預かる。
隔離圃場は、外と仕切られた温室だ。棚が並び、鉢が置かれ、一鉢ずつ番号の札がついている。私はその札と栽培検査の記録を照らしながら、毎日見回る。水をやり、温度を見て、葉の色を確かめる。検疫の対象である苗木を、私が枯らしてはいけない。枯らせば、その苗が病気かどうかを、永遠に確かめられなくなる。検査のために、まず生かす。生かす腕がなければ、検査もできないのだと思う。
ウイルス病は、育ててはじめて姿を現す。芽が伸び、葉が展開し、何枚目かの葉に、モザイク状の色むらが出る。葉脈に沿って黄色く透ける。あるいは、枝の伸びが妙に縮こまる。そうした症状が出るまでに、数か月。木によっては、年を越して、二年目の春の芽でようやく出ることもある。だから待つ。待つことしかできない。記録に「異常なし」と書き続けながら、それでも気を抜かずに、次の芽を待つ。
待っているあいだ、生産者から電話が来る。「まだですか」。新しい品種を待っている。その品種で勝負したい農家がいて、苗木の解放を、首を長くして待っている。私は答える。「もうしばらくお待ちください」。けれど心の中では、もし病気を見落として産地に入れたら、その地域の果樹が全滅するかもしれない、という重みを抱えている。一本の苗木の向こうに、産地全体がぶら下がっている。だから、急かされても、私は待つ時間を縮められない。
無事に検査期間を終え、症状が出なければ、合格の通知を出す。隔離を解かれた苗木は、圃場の扉から出ていく。生産者の手に渡り、産地に植えられ、何年か後には、果樹園の一本になる。私は、その後の風景を想像する。春には花が咲き、秋には実がたわわになる果樹園。私が温室で水をやっていた小さな鉢が、いつか丘いっぱいの果樹園になるのかもしれない。そう思うと、毎日の見回りも、報われる気がする。
けれど、ウイルスが見つかることもある。栽培検査でモザイクが出て、検定にかけて、陽性と出れば、その苗木は処分になる。焼却だ。私は、その立ち会いをする。持ち込んだ生産者に、悪意などない。よい品種を産地に入れたい、ただそれだけの善意だった。それでも、燃やす。燃える苗木を見ながら、私はいつも、制度というものの冷たさと、その冷たさが守っているものの大きさを、同時に思う。
焼却の煙が上がる。一本の苗木が灰になる。けれど、その一本を燃やしたことで、産地が守られる。見えないウイルスを、育てることで見えるようにして、見えたものを断つ。それが隔離検疫なのだ。待つことも、検疫なのだと、いまでは思う。今日も私は、温室の棚のあいだを歩き、次の芽を待っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。