連絡帳の、三行
書かれない七時間五十七分のほうに

ニシオカハルカ(29歳・保育士7年)

子ども一人の一日を保護者に伝える欄は、だいたい三行ぶんしかない。十時間あずかって、書けるのは三行。何を書いて、何を書かないか。保育士の仕事の半分は、たぶんこの選び方のなかにあるのだと思う。

連絡帳には、決まった様式がある。上のほうに睡眠・食事・排泄のチェック欄。お昼寝は何時から何時まで眠ったか、給食とおやつをどれだけ食べたか、午前と午後に何回おむつを替えたか。その下に、家庭からの記入欄と、園からの記入欄が、向かい合わせに並んでいる。私が三行を書くのは、いつもこの園からの欄だ。

朝、子どもたちが登園してくる前、保育室の窓から朝日が静かに差し込んでいた。今日もこの三行と向き合うのだと思いながら、私は一冊ずつ連絡帳を開いていく。一日が始まる。

「給食を完食しました」。これは安全な一行だ。事実で、明るくて、誰が読んでも角が立たない。完食の日は、私はためらわずにこれを書く。書きながら、少しほっとしている自分がいる。

難しいのは、たとえば「ブロックを貸せませんでした」のような一行だ。これは書き方に技術がいる。事実だけ書くと、保護者はその後ずっと気にしてしまう。だから私は、その後の回復まで一行に畳む。「最初は貸せませんでしたが、お友だちが順番を待つと、自分から半分渡していました」。三行のうちの一行は、こうしてときどき長くなる。

家庭からの欄を読むのも、私の仕事のうちだ。ある家は、返信欄の筆跡が日によって違う。丸い字の日と、角ばった字の日がある。たぶんお父さんとお母さんが交代で書いている。ある家はずっと空欄で、ある家はいつも欄からはみ出す長文だ。三行の向かいの欄は、その家の今のかたちを、字で見せてくる。

ケガをした日は、連絡帳とは別の様式がある。いつ、どこで、どんなふうに転んで、どう処置したか。これは三行ではなく、決まった枠を埋めていく。送迎のとき、私はそれを口で補う。「お昼寝のあと、寝ぼけて棚の角に。冷やして、もう泣いていません」。書かれた様式と、口で渡す言葉は、たぶん少しずつ役割が違うのだと思う。

三行を書きながら、いつも思うことがある。書けるのは三行でも、子どもがそこにいたのは十時間だ。残りの、書かれない七時間五十七分。眠る前にとなりの子の髪をさわっていたこととか、砂場で同じ穴を三十分掘り続けていたこととか。そういう、三行に入らなかったほうに、保育の本体はある。

年度末、私は一年ぶんの連絡帳を一冊にして保護者に返す。四月は薄かった字が、三月にはずいぶん厚くなっている。あの三行は、家庭との換気口なのだ。閉じた部屋に、一日に一度だけ空気を通す小さな窓。私はその窓を、これからも丁寧に開け続けたいと思っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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