富士山の、青
弟子入りの年、見上げる構図を覚えるまで

ニシゾノチカ(26歳・銭湯のペンキ絵師4年)

銭湯の壁に富士山を描く仕事をしている。日本に数人しかいない職業の、いまのところ最年少の弟子だ。弟子入りしたのは二〇二二年、二十二歳の秋だった。絵を仕事にしたいというより、消えていくものの最後に立ち会いたかったのだと思う。失われゆく昭和の風景に、私はずっと惹かれていた。

この仕事の一番の特徴は、速さだ。銭湯は休業させない。だから絵の描き替えは、開店前の朝の数時間で終わらせる。前の晩のうちに古い絵の上から下地を塗り、朝、男湯と女湯を仕切る壁の両側に足場を組む。脚立ではなく、二段、三段の足場板の上に立って、見上げながら描く。湯気の立つ前に仕上げる、一日勝負の仕事だ。

意外に思われるのだが、使う色は少ない。缶にして七つか八つ。空の青、雲の白、山の青、海の青、岸の緑、影の藍。これだけで、空と海と山を作る。足りない色は、その場で混ぜる。白をどれだけ落とすかで、空は朝にも夕にもなる。色数が少ないからこそ、混ぜる手の記憶が全部になる。たぶん、そういうことなのだと思う。

弟子入りして最初の数ヶ月、私はひたすら富士山を描かされた。形は覚えた。雪渓の入り方も、稜線の角度も。それなりに描けるようになったつもりでいた。ある朝、師匠が足場の下から私の絵を見上げて、しばらく黙っていた。それから言った。「富士山を描くな。富士山のある風呂を描け」。

意味がわからず、私は黙っていた。師匠は続けた。「湯船から見上げた時にどう見えるかが全てだ。客は立って絵を見ない。肩まで湯に浸かって、顎を上げて見るんだ」。それから師匠は、私の描いた山の上半分を指して言った。「お前の富士は、正面から見た富士だ。見上げた富士じゃない」。

その日から、私は構図を補正することを覚えた。見上げる目線では、上にあるものほど遠ざかって縮む。だから山頂はわずかに低く詰め、空は手前に広く取る。足場の上の私の目線ではなく、湯に沈んだ客の目線で、絵を組み直す。自分の見ている景色を、いったん疑うこと。それが、見上げる構図ということだった。

仕切り越しの整合という難しさもある。男湯と女湯は壁で仕切られているが、富士山は一枚の絵として、壁の向こうとこちらで稜線がつながっていなければならない。片側だけ見て描くと、開店後に両側を見比べた常連客が必ず気づく。「前の絵のほうが良かったな」。そう言われるのが、新米の洗礼だ。前の絵を描いたのは師匠なのだから、当たり前なのだけれど。

ペンキ絵は、長くて数年で描き替える。湿気で傷み、塗膜が浮き、青がくすんでいく。永遠に残るものではない。けれど、消えていくからこそ美しいのだと、いまの私は思う。あの「富士山のある風呂を描け」の一言が、私を見上げる構図の観察者にしてくれた。以来四年、私はいつも、誰かが見上げる角度から世界を見るようになった。今朝も足場を組み、湯気の立つ前の数時間に、空の青を塗り替える。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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