ヌカガタモツ(52歳・鋳物工場の鋳込み30年)
夏になると、工場のホワイトボードの段取りが、上に詰まる。鋳込みを朝へ寄せるからだ。七時に炉へ火を入れ、九時には湯を出す。大物の取鍋仕事は午前のうちに終え、午後は型ばらしと仕上げに回す。昼の炉前を、人が立つ時間からなるべく外す。これは班長が毎朝、ボードの上から順に番手を書いていって決まる。誰の知恵というのでもなく、夏のたびにボードが上へ詰まる。
炉前へ出る前に、防熱の前掛けを胸から腿まで垂らし、顔のシールドを下ろす。湯の輻射が肌を焼くから、外気が何度だろうと外せない。午前の一仕事を終えて前掛けを脱ぐと、内側は汗で重くなっている。腕を伝った汗が長靴の中まで落ちて、脱いだ長靴を逆さにすると、たまった分が土間に出る。前掛けを物干しに掛けておくと、夕方には汗の塩が白く浮いて、前掛けの形に乾いている。
夏は、塩飴の箱を休憩所の棚に出す。誰でも舐めていい。班長は腕時計で四十分を計り、四十分ごとに炉前から一人ずつ抜く。喉が渇いてからでは遅い、と先代が言っていた。湯の番より先に、人の番を回す。それが夏の段取りだ。
夏に入りたての若手を、班長は顔色で見ている。赤いうちはいい。白っぽくなって、汗が引いてきたら呼ぶ。日陰の休憩所に座らせ、塩飴と水を渡し、しばらく炉前に戻さない。若い者は、先輩より早く抜けるのを嫌がる。先週も一人、抜けと言われたのに首を振った。班長は何も言わず、その子の番手をボードから一本消して、別の者の名前を書いた。倒れられたら、その日の段取りが一本止まる。座らせるほうが、結局は速い。
私が入った三十年前、塩飴の箱はなかった。水を飲むのは軟弱だと言われ、休憩の時間も決まっていなかった。一年目の夏、私の二つ上の人が炉前で膝から崩れた。日陰に運ばれ、顔に水をかけられて、その日は早退した。次の日には何ごともなく炉前に立っていたが、誰も「だから休め」とは言わなかった。塩飴の箱が棚に出たのは、それから十年以上あとだ。いつ誰が出しはじめたのか、私は覚えていない。気づいたら、箱があった。
午前の取鍋仕事が片づくと、昼前には炉の火を落とす。午後は型ばらしだ。固まった砂を崩し、午前に注いだ鋳物を出していく。炉から離れる分、シールドも前掛けも要らない。汗の乾いた前掛けが物干しで揺れているのを横目に、私は砂を崩す。
夕方、仕事が一段落すると、土間の大扉を開ける。日が傾いて、外の温度が下がりはじめる時刻だ。表の寒暖計は三十五度を指している。その三十五度の風が、炉前にいた身体には、ひやりと入ってくる。前掛けに浮いた塩を払い、私はしばらく扉の口に立っている。三十五度を涼しいと思う。この季節、私の身体の目盛りは、それくらいずれている。