源泉の、量(第二稿)
湯守一年目、湯の機嫌を測ると決めた日

ヌクイサヤカ(38歳・温泉の湯守18年)

山に湧く湯を、いくつかの宿まで届ける仕事をしている。源泉の温度と湧出量を測り、引湯管を見回り、決まった量を各宿に割り振る。湯守とは、そういう仕事だ。祖父も父も、この山の湯を守ってきた。

二〇〇八年、二十歳の春に入った。最初の朝、父に言われた。「温泉は生き物だ。今日の湯は今日しか出ない。量を測れ、毎日測れ、休むな」。意味は後からわかった。

測り方はこうだ。源泉のタンクから出る湯を、二十リットルの枡で受け、満ちるまでの秒数を数える。十秒なら毎分百二十リットル。朝に一度、夕に一度、帳面に書く。晴れが続けば百二十のあたりで落ち着き、雨が三日も降れば百四十に増えて、湯口の濁りが強くなる。地震のあとは数日、量が乱れて、五日ほどで元に戻る。これを「機嫌」と父は呼んだが、帳面の上では、ただの数字の上下だ。

引湯管の見回りは、山道を一里。木の樋の古い区間と、塩ビ管の新しい区間が継いである。冬は凍結が怖い。湯が流れているうちは凍らないが、どこかで湯の花が詰まって流れが止まると、その先が冷えて割れる。だから歩く。継ぎ目に手を当て、管の鳴る音を聞きながら、詰まりかけを探して歩いた。

源泉は九十二度ある。湯船に張る四十二度まで、五十度落とさねばならない。加水すれば早い。だが、源泉そのままを売りにして加水を許さない宿が一軒ある。その宿へは、わざと長い管を引き回し、途中の貯湯タンクで一晩寝かせて、薄めずに温度だけを落とす。湯を一滴も足さずに五十度下げるのに、半日かかる。

割り振りが、いちばん難しい。湧出量は限られ、宿は六軒ある。どの宿が毎分何リットルを取れるかは、明治の取り決めで決まっている。湯の権利、という。新しい宿の主が「うちにあと十リットル」と言ってきた年があった。私は帳面を開き、六軒の欄の数字を指でなぞり、どこも一リットルも動かせないと答えた。誰かの十リットルは、必ず別の誰かの十リットルだ。

タンクと管の内側には、湯の花が育つ。温泉成分が固まった、白くもろい結晶だ。厚くなれば流れを塞ぐので、年に二度、タンクの底に腰まで入ってヘラで掻き落とす。一日で桶に四杯出た年もある。

父の代に、隣の沢の源泉が枯れた。ある日ではなく、何年もかけてだ。止まった春、父は古い記録帳を私に開いて見せた。毎分のリットルを何十年分も書きためた帳面で、終わりのほうのページは、数字が一けたずつ小さくなっていた。毎分八十、六十、四十。最後の行は十二で、その下は空白だった。「測っていたから、わかったんだ」と父は言った。私はいまも朝夕、枡の秒数を数える。直した湯温も、割り振った量も、覚えていない。覚えているのは、あの帳面の最後の行の、十二という数字だ。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。