ヌクイサヤカ(38歳・温泉の湯守18年)
山に湧く湯を、宿まで届ける仕事をしている。源泉から湧く湯の温度と量を測り、引湯管を見回り、いくつかの宿に湯を割り振る。それが湯守の仕事だ。大地の恵みを預かる、と言ってしまえばそれまでだが、預かるというのは、毎日測る、ということだった。
二〇〇八年、二十歳の春に、私はこの仕事に入った。湯守の家系で、祖父も父も山の湯を守ってきた。最初の日、親方——といっても父だが——に言われた。「温泉は生き物だ。今日の湯は今日しか出ない。量を測れ、毎日測れ、休むな」。意味はよくわからなかったと思う。けれど、毎日測れ、という言葉だけは、十八年経ったいまも体に残っている。
湧出量は、毎分何リットルという単位で記録する。源泉のタンクに引いた湯が、決まった枡を満たすまでの秒数を測り、割り算する。朝の見回りで一度、夕の見回りで一度。雨が続けば量が増えることもあり、地震のあとに濁ることもある。湯にも機嫌があるのだと、はじめの数ヶ月で知った。自然というのは、人の都合では動かないものなのだと思う。
引湯管の見回りは、山道を一里ほど歩く。木の樋を継いだ古い区間と、塩ビ管に替えた新しい区間が混じっている。冬は管の凍結が怖い。湯が通っているうちは凍らないが、どこかで詰まって流れが止まると、そこから先が一気に冷えて割れる。だから歩く。湯の花が管の内側に育って流れを細らせていないか、継ぎ目から漏れていないか、耳と手で確かめながら歩いた。
源泉の湯は、宿に届けるには熱すぎることがある。九十度近い湯を、湯船に張れる温度まで冷ます。加水すれば早いが、加水を嫌う宿がある。源泉そのままを売りにしている宿だ。そういう宿には、長い管を引き回し、貯湯タンクで時間をかけて自然に冷ます。湯を薄めずに温度だけ落とす、というのは、ずいぶん手間のかかる工夫だと思った。
湯の割り振りは、いちばん難しい。湧出量には限りがあり、宿は何軒もある。どの宿が毎分何リットルを受け取れるかは、明治の頃からの取り決めで決まっている。湯の権利、という。新しい宿が「うちにももう少し」と言ってきても、簡単には動かせない。古い権利の世界を、私はただ淡々と記録し、配分する。誰かの取り分を増やせば、誰かの湯が細る。
タンクと管には、放っておくと湯の花が育つ。温泉の成分が固まったもので、白や茶色の、もろい結晶だ。これが厚くなると流れを塞ぐので、定期的に掻き出す。タンクの底に腰まで入って、ヘラでこそげ落とす。湯の花は温泉が生きている証でもあり、邪魔者でもある。掻き出した湯の花を桶に上げながら、自然の恵みとは厄介なものだな、と思ったりもした。
父の代に、近くの源泉が一つ枯れた。ある日突然ではなく、何年もかけて少しずつ量が落ちて、ついに止まった。父はそのとき、古い記録帳を私に見せた。毎分のリットルを何十年分も書きためた帳面で、終わりのほうのページは、数字が静かに小さくなっていた。「測っていたから、わかったんだ」と父は言った。長く続く傾きは、一日では見えない。
あれから十八年、私は毎日、湯の量を測り続けている。湯守とは湯を守る仕事だと思われがちだが、本当は、湯の機嫌を見続ける仕事なのだと、いまでは思う。測ることでしか見えない傾きがあり、その傾きを見るために、私は休まずに枡の秒数を数えてきた。湯の機嫌が、私をいまの私にしてくれた。今日も山では、私の知らない速さで、湯が湧いている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。