ヌマジリケイタ(44歳・ダムの管理員19年)
ダムの仕事というと、水を流すゲートの開け閉めを思い浮かべる人が多いだろう。けれど私の一日の大半は、堤体の中を歩くことに費やされている。コンクリートの巨大な塊の内側には、監査廊と呼ばれる細い通路が縦横に走っていて、私はそこを、毎日決まった順路で点検して回っている。
外が真夏でも真冬でも、監査廊の中の温度はほとんど変わらない。年じゅう、ひんやりと一定だ。何万トンというコンクリートの巨体は、外の気温に揺さぶられることなく、自分だけの体温を静かに保っている。山の上で暑さに参っている日も、扉を一枚抜けて廊下に入った途端、ダムの落ち着いた呼吸の中に迎え入れられるような気がするのだった。
点検の中心は、漏水量の計測だ。ダムは漏れる。そう言うと驚かれるが、コンクリートの継ぎ目や岩盤との境からは、いつも少しずつ水が滲み出している。集められた漏水は、三角の切れ込みを入れた堰を越えて流れ、その水位の高さで量がわかる仕組みになっている。私は目盛りを読み、量と、水の濁りの具合を、毎回記録していく。
継ぎ目には、変位計という計器が取り付けてある。堤体は、生きているかのように、季節によってわずかに動く。夏は伸び、冬は縮む。その動きはミリの単位で、私はその数字を一つずつ書き写していく。コンクリートの壁が、目に見えない速さで呼吸しているのを、計器の針だけが知っている。
監査廊は長い。下のほうの階段は、いつも結露でしっとりと濡れている。壁に手を当てると、指先が冷たく湿る。照明のスイッチは、ある程度の間隔をあけて壁に並んでいて、一つ点けて歩き、消える頃に次を点ける。その繰り返しで、私は光の輪を引きずるようにして、暗い廊下を奥へ進んでいくのだった。
地震があった日は、臨時の点検に入る。揺れが収まると、私はいつもより足早に階段を下り、継ぎ目に異常がないか、漏水の量や色が変わっていないかを確かめて回る。普段はゆっくり歩く廊下を、その日だけは急いで歩く。ダムが何か言いたそうにしていないか、耳を澄ますような気持ちで歩いていたのかもしれない。
監査廊の入口の近くに、竣工時の銘板がはめ込まれている。五十年前の年号が刻まれている。コンクリートの寿命はおよそ百年と言われるから、このダムはちょうど一生の折り返し点を生きていることになる。自分より三十年も年上の構造物の、健康診断を毎日続けているのだと思うと、不思議な気持ちになる。私のほうが先に、ここを去るのだ。
長い点検を終えて監査廊を出ると、外の空気が一斉に押し寄せてくる。夏なら草いきれ、冬なら乾いた冷たさ。さっきまでの一定の温度から、季節のある世界へ戻ってくる。その匂いを吸い込むたびに、ああ自分は外の人間なのだと思い出す。ダムは中に温度を抱えたまま、何も言わずにそこにある。
ダムは漏れる。けれど、適切に漏れることこそが健全の証なのだ。漏れないダムは、かえって危ない。水の逃げ場がどこにもないということだからだ。少しずつ漏らし、少しずつ動き、それでも崩れずに立っている——人間も、たぶん同じなのだろう。完璧に密閉された心が、いちばん脆い。あの冷たい廊下で、私はそういうことを、ダムから教わっているのかもしれない。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。