流木の、網場
大雨のあと、上流の山の出来事が数日遅れて湖面に届く

ヌマジリケイタ(44歳・ダムの管理員19年)

大雨が過ぎて、空がからりと晴れた朝のことだ。事務所の窓から湖を見ると、いつもの青い水面の一角に、茶色い帯がゆっくりと広がっていた。流木だ。山が泣いたあとの涙のように、上流から流れ出た木々が、湖の奥から少しずつこちらへ寄ってくる。雨そのものより、雨のあとのほうが、湖は忙しい。

流木は、上流の山からの便りのようなものだ。量が多ければ、それだけ上の斜面が大きく崩れたということ。混じっている木の種類で、どのあたりの沢が荒れたのかも、なんとなく読める気がする。山で起きたことが、数日遅れて、こうして湖面に届く。私は山の上にいながら、もっと上の山の様子を、流れてきた木から教わっているのだった。

湖には網場(あば)と呼ぶフェンスが浮かべてある。流木止めだ。ドラム缶ほどの太さの浮きをワイヤで数珠つなぎにして、湖を横切るように張ってある。流れてきた木は、この網場で受け止められて、それ以上は下流へ行けない。とりわけ大事なのは、取水口の手前を守ること。発電や水道のために水を取る口に流木が向かわないよう、網場が湖面を仕切っている。

溜まった流木は、回収船で集める。船といっても、平たい台船の先にクレーンとつかみが付いた、地味な作業船だ。私は操船の免許を取って、雨上がりにはこの船を出す。水面に浮いた木を、つかみで一本ずつ拾い上げては、台の上に積んでいく。波のない日でも、流木は風で集まったり散ったりするので、船を当てる角度がむずかしい。派手さは何もない、根気の作業だと思う。

拾い上げた流木には、木だけではないものが混じっている。色の褪せたポリタンク、ちぎれた看板の切れ端、片方だけの長靴。上流のどこかの暮らしの断片が、木と一緒に流れてくる。誰かの庭先にあったのかもしれないものが、見ず知らずの私の船に上がってくる。山の上で水位を読む仕事のはずが、私はときどき、上流の町の落とし物を拾っているような気持ちになるのだった。

集めた流木は、岸の一角に山と積む。乾かしてから、機械にかけてチップにする。事務所の前には「ダムの流木さしあげます」という貼り紙が、毎年この時季に出る。意外かもしれないが、ダムの流木は人気がある。薪にしたい人、庭に使いたい人、いろいろな人が軽トラで取りに来る。山が崩れて流れ出た木が、誰かの暮らしの中で、もう一度使われていく。

台風シーズンの前には、網場の張り替えをする。古くなったワイヤを点検し、浮きの傷んだものを入れ替える。これから来る大水の量を、まだ降ってもいない空に向かって想像しながら、フェンスを直す。点検をしていると、去年の大雨で受け止めた流木の擦り傷が、浮きの表面に残っているのが見える。網場は、黙って働いた跡を、こうして体に刻んでいる。

回収が終わって、湖面が静かに戻った日。對岸まですっかり見通せるほど、水は澄んだ青を取り戻している。流木の茶色い帯はもうどこにもない。私はその青を見ながら、ああ今年も湖を守れたのだと、少しだけ誇らしい気持ちになる。湖面を掃除するということは、つまり、下流の人が口にする水を守るということなのだ。

網場は、ただのフェンスではない。それは、上流の山と下流の蛇口のあいだに引かれた、目に見える境界線なのだ。流木を受け止め、取水口を守り、湖の青を保つ。山が崩れても、その傷を下流まで運ばせない。湖面の掃除が取水を守るのだ。地味な船を出し、一本ずつ木を拾うこの仕事は、たぶん、そういう仕事なのだろう。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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