ヌマクラエミ(48歳・整経職人26年)
整経という仕事を二十六年続けている。織機に経糸(たていと)をかける前の準備の工程で、何百本、何千本という糸を、必要な本数と長さと張りで揃えて、一本の太い円筒——ビームに巻き取る。織物の最初の精度は、ここで決まる。けれど、それを知っている人は、織物を着る人の中にはほとんどいない。
糸には心がある、と人はよく言う。そういう言い方を、私は長いこと信じていたのかもしれない。けれど工場の糸には、心などというものはなかった。あるのは張りと、太さと、順番だけだった。整経の現場は、叙情を許さない場所だったのだと思う。
二〇〇〇年の春、二十二歳で産地の整経工場に入った。最初の数ヶ月は、ただクリールの前に立っていた。クリールというのは、ボビン——糸を巻いた円錐の筒を、何百本も立てておく棚のことだ。そのボビンの一本一本に、色と素材が決まっている。どこに何色を立てるか、その配置が、織り上がる柄の設計図そのものだった。並べ方を一つ間違えれば、反物の柄が崩れる。
糸は、クリールから引き出されて、筬(おさ)と綜絖(そうこう)の穴を、一本ずつ通っていく。何百本を、一本も飛ばさず、一本も重ねず、決められた順番で通す。隣どうしを入れ替えただけで、柄は壊れる。その通し作業を、親方は黙って見ていた。指が憶えるまで、口では教えてくれなかったように思う。
張力の調整は、重りでやる。糸の太さと素材によって、ぶら下げる重りを変える。けれど数字だけでは決まらなかった。親方は、張った糸を指の腹で弾いて、その音を聞いていた。低く鈍い糸は緩い。澄んで高い糸は張りすぎ。何百本の糸が、同じ高さで鳴るように、私は重りを足したり外したりした。糸が、楽器のように鳴る瞬間があった。
ビームへの巻き取りは、端から端まで、同じ硬さでなければならない。途中で緩めば、織機の上でそこだけ張りが狂う。私は手のひらを巻きに当てて、左の端も、真ん中も、右の端も、同じ硬さで巻けているかを確かめながら、ハンドルを回した。緩みのない、まっすぐな円筒。それがビームの理想だった。
入って半年ほどの頃、私は一本だけ、わずかに緩い糸を見逃した。気づいたのは、織屋に納めて、反物が織り上がってからだった。一本の緩い経糸は、織りむらになっていた。布の真ん中に、細く、薄く、影のような筋が一本。親方はその反物を私の前に広げて、こう言った。「織りの傷の半分は整経で決まってる。うちで揃わなかった糸は、織機の上では直らん」。怒鳴りはしなかった。ただ、淡々としていた。
整経は、産地の分業のいちばん最初にある。私たちが揃えた糸を、織屋が織り、染め屋が整え、問屋が運ぶ。表に名前は出ない。傷が出れば責められ、何事もなければ気づかれない。表に出ない工程の責任を、淡々と引き受けること。それが整経という仕事の本質なのだと、あの反物の筋を見たときに、私は理解したのだと思う。
あれから二十六年。私は何万本の糸を巻いてきたか、もう数えていない。整経とは糸を巻く仕事だと思われがちだが、本当は、順番を守る仕事なのだと、いまでは思う。一本の緩みを許さないこと。それは、誰にも見られない場所で正しさを守ることだ。あの反物の影のような筋が、私をいまの私にしてくれた。今日もクリールの前に立つと、何百本の糸が、私に順番を待っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。