フジワラレン(研究助手)
役所や銀行の窓口で耳にする「番号札をお取りください」「お呼びしましたらお越しください」といった言葉は、私たちの日常に深く根付いている。これらは単なる案内に留まらず、その背後には特定の文体、さらにはある種の無意識の強制力が潜んでいる。共通するのは、動作の主体である「誰が」を徹底的に排除している点だ。
「あちらで番号札をお取りください」という一文は、誰に取ってほしいのかを明示しない。あたかも番号札が自ら取られることを欲しているかのように、あるいはこの場にいる誰もが等しくその行為の対象であるかのように、話者は主語を濁す。この曖昧さは、窓口という公的な場における個人と組織の関係を如実に表している。個人の意思や感情は表に出にくく、システムが求める一連の動作へと自然に誘導される構造が、この主語の消滅に象徴されている。
同様に「お呼びしましたらお越しください」も、「誰が呼ぶのか」を特定しない。通常、担当者が名前や番号を呼ぶわけだが、その「担当者」は個別の人間ではなく、制度の一部としての「呼び声」に過ぎない。個人の存在は後景に退き、手続きの流れそのものが前面に出る。この言葉の選択は、窓口業務が個人の裁量ではなく、標準化されたプロトコルに基づいて行われるべきだという組織側の強い意思の現れだ。効率と公平性を追求するあまり、人間的な交流の余地はそぎ落とされていく。
「恐れ入りますが番号順にお待ちください」もまた、同様のメカニズムで機能する。「恐れ入りますが」という丁寧なクッション言葉が前置されているものの、本質的には順番を厳守せよという指示である。ここにも「誰が」待たせるのか、あるいは「誰に」待たせるのか、という主語は意識されない。人々は番号という抽象的な記号によって管理され、その秩序に従うことを半ば義務付けられている。この言葉は、まさに制度のルールを声に変換したようなものだ。
これらの言葉が織りなす文体は、受け身と尊敬語が多用されることで、さらにその特徴を強める。動作の対象を強調し、主体をぼかす受け身形は、個人の能動性を抑制し、システムへの従順を促す。尊敬語は、聞く者に対する敬意を表しつつも、同時に語り手の立場を上位に位置づける効果を持つ。これにより、利用者側はサービスを受ける側としての態度を無意識のうちに形成させられる。
規制や規則が言葉の形式に与える影響は大きい。例えば、公文書においては、誤解の余地をなくし、誰に対しても公平に適用される普遍性を追求するため、特定の表現が好まれる。窓口の案内もまた、その「公的な言葉」の延長線上にある。手続きの円滑な進行、クレームの防止、そして何よりも制度の信頼性を維持するために、言葉は客観性と中立性を装う。その結果、人間的な感情や個別の状況を排した、無個性で均質な文体が生まれる。
このような言葉遣いは、制度が個人に何を求めているのかを雄弁に物語る。それは、規則に則り、与えられた役割を粛々と果たす市民像である。言葉が主語を消し、受け身と尊敬語で構成されるのは、そうした「誰でもない」市民を相手に、滞りなく手続きを進めるための最適解として選ばれてきたと解釈できる。それは、効率的な行政運営の要請から生まれた、ある種の言語的メカニズムなのだ。
窓口の言葉は、まるで透明な指示書のように機能する。その透明性は、手続きの公平性や客観性を保つ上で不可欠であると同時に、個人の主体的な問いかけや異議申し立ての機会を奪う側面も持つ。私たちは無意識のうちに、主語なき言葉が織りなす「制度の物語」の中に組み込まれている。そして、その物語の中では、システムこそが常に暗黙の主役であり続ける。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。