ヌノカワサヤ(36歳・帆布鞄職人14年)
帆布の鞄を十四年作っている。帆布には号数というものがあって、数字が小さいほど厚い。八号、六号と、私たちの工房はとくに厚い地を使う。新品の八号帆布は、まるで板のように硬くて、折り目をつけるにも体重をかけなければならないほどだ。窓の外には朝の光が静かに差し込んでいて、工房にはミシン油の匂いがいつも満ちている。
工房に入ったのは二〇一二年、二十二歳の春だった。最初の数ヶ月は、ただ親方の手元を見ているだけの日々だったように思う。親方が極厚の帆布を工業用ミシンに送り込むと、針が布に吸い込まれていく。布が何枚も重なった角に差し掛かると、ミシンの音が一段低くなる。あの低い音が、私はなぜか好きだった。
ある日、私は自分が縫った小さな試作のトートを親方に見せた。布の目はまっすぐ通っていて、我ながらきれいに縫えたと思っていた。親方はそれを手に取って、持ち手をぐっと引っ張った。持ち手の付け根が、ぷつりと音を立てて浮いた。親方は言った。「布の強さに頼るな。縫いの強さで作れ。破れる鞄は布からじゃない、縫い目から壊れる」。私はしばらく、その言葉の意味を考えていた。
力のかかる場所は決まっている。持ち手の付け根、底の角、口の両端。そこに何が起きるかを想像して、針の道をあらかじめ設計しておく。とくに持ち手の付け根は、返し縫いの回数と幅で強さが決まる。行って、戻って、また行く。たった数センチの間に、糸の道を三重にも四重にも重ねる。手間をかけるほど、その鞄は長く生きるのかもしれない。
極厚の帆布が何枚も重なった段差を、ミシンの針はそう簡単には越えてくれない。角に差し掛かると、針はしばしば折れる。パチンという乾いた音がして、半分になった針が飛ぶ。最初の一年で、私は数えきれないほど針を折った。折れるたびに、自分の送りが急ぎすぎていたのだと知る。針との付き合いは、つまるところ自分の手の速さとの付き合いだったのだと思う。
糸も、ただの糸ではない。太番手の糸に蝋を引く。蝋を引いた糸は、滑りが良くなり、厚い布の中を通っても毛羽立たず、結び目がほどけにくくなる。切り口——コバ——の始末も同じで、断ち切ったままにすれば帆布はほつれていくから、焼くなり伏せるなりして、ほつれの芽を止めておく。鞄づくりは、ほどけようとするもの、ほつれようとするものを、一つひとつ押さえていく作業なのだと思う。
新品の八号帆布は硬くて、角が手に刺さるほどだ。けれど十年使い込まれた帆布は、まるで人の肌のように柔らかくなり、色も飴色に深まっていく。帆布は、使う人の手の中で育っていく素材だ。買ったその日がいちばん美しいのではなく、年月をかけて、その人だけの色になっていく。私はこの「育つ」という性質が、たまらなく愛おしいのだと思う。
修理に戻ってくる鞄がある。それは私にとって、自分の縫い目の答え合わせだ。どこが壊れたかを見れば、何年も前の自分が、どこで力を読み違えたかがわかる。壊れた場所は、次の鞄の設計を教えてくれる。だから私は、壊れて戻ってきた鞄を、決していやな顔では迎えない。むしろ、待っていたのかもしれない。
あれから十四年。私はいつのまにか、ものが壊れる場所の観察者になっていた。鞄も、人も、関係も、壊れるときは縫い目から壊れる。布のせいにできるうちは、まだ楽なのだ。壊れる場所を見つめ続けたあの日々が、私をいまの私にしてくれた。今日も工房には、ミシン油の匂いが静かに満ちている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。