裁断の、型紙
縫う前に、鞄はもう半分決まっている

ヌノカワサヤ(36歳・帆布鞄職人14年)

朝、一反を裁台に広げて最初の一裁ちを入れる瞬間が、私はいまでも好きだ。鋏が厚い帆布に沈んでいく手応えに、今日の仕事が始まる。窓の外には朝の光が静かに差し込んでいて、裁台には布の匂いがいつも満ちている。縫う仕事ばかりが鞄を作るのだと、若い頃の私は思っていた。けれど縫う前の裁断こそが、鞄の半分を決めてしまうのだと、いまの私は思う。

裁台の壁には、厚紙の型紙が用途別に掛かっている。トートの本体、底、持ち手、当て革。何度も布の上をなぞられて、型の縁は擦り減り、角はわずかに丸まっている。新しく起こしたときは紙の角が鋭く、鉛筆の線が一本きりに引けた。いまは縁が毛羽立って、線が二本に割れる。割れ始めたら作り直しの合図だ。擦り減った型は、私が何枚その鞄を作ってきたかの目盛りでもあるのかもしれない。

帆布には布目がある。経糸の方向は引いてもほとんど伸びず、緯糸の方向はわずかに伸びる。持ち手は、伸びない経の向きで取る。肩に提げて毎日引かれる場所だからだ。これを横着して緯の向きで取ると、半年で持ち手が伸びて間延びする。型紙を布に置くとき、私はまず布目の向きを指で確かめる。どの向きで取るか――それだけで、その鞄が十年もつか半年でだれるかが決まってしまう。

一反からどう取るか。これがいちばん頭を使う。本体の大きな面、底の細長い帯、持ち手の二本、小さな当て革。それらを布の幅の中に、無駄なく並べていく。パズルだ。本体と本体の隙間に持ち手を差し込み、端の細い余りに当て革を寄せる。並べ終えて、端切れがどれだけ少ないか――そこに職人の腕の差が出る。下手が裁つと端切れの山が高くなり、上手が裁つと低くなる。

刃は二つ使い分ける。直線の長い断ちは回転裁断機、丸い角や細かい抜きは裁ち鋏。六号八号の厚物を回転刃で真っ直ぐ切るには、刃を布に対してまっすぐ立て、一定の速さで押す。速さが揺れると断面が波打つ。最初の数年は、この真っ直ぐが出せずに苦しんだような気がする。いまは音でわかる。刃が布をきれいに割いていく音は、低く一定だ。

同じ生地番号でも、染めのロットで色が微妙に違う。並べて見れば、片方がわずかに青く、片方がわずかに赤い。一つの鞄は、必ず同じロットから取る。本体と底で別ロットを使えば、出来上がった鞄の面と面とで色が割れる。客は理由をうまく言えないまま「なんとなく安っぽい」と感じる。ロットを揃えるのは、職人にとっての鉄則のようなものなのだと思う。

並べ終えても、布の端には細い余りが必ず残る。私はこれを捨てない。手のひらほどの端切れはポーチに、細い帯はペンケースの本体に化ける。鞄を一つ裁つと、端切れから小物が二つ三つ生まれる。端切れの量が腕の差なら、端切れの行き先は工房の経済だ。無駄をどこまで小物に変えられるか――それも裁断の仕事の続きなのだと思う。

すべて裁ち終えると、裁台には布の山ができる。本体が二枚で一つ、底が一枚、持ち手が二本、当て革が四枚。私はその山を見て、これが鞄何個分かを数える。まだ一針も縫っていないのに、山はもう鞄の形をして見えている。裁断が終わった時点で、私の頭の中では鞄はもう立ち上がっている。

縫う仕事が鞄を作るのだと、長いあいだ私は思っていた。けれど布目を読み、型紙を置き、取り都合を解き、ロットを揃える――その設計の全部が、縫う前にもう終わっている。裁断が、鞄の半分なのだ。残りの半分を縫いが受け取る。作るとは、つまるところ裁つことと縫うことの、二つで一つの仕事なのだと、いまの私は思う。今日も裁台には、布の匂いが静かに満ちている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。