修理の、持ち込み
壊れた場所が、使われ方を教えてくれる

ヌノカワサヤ(36歳・帆布鞄職人14年)

工房の戸口には、修理待ちの鞄がいつも何点か積んである。新しく作る鞄が私の予想だとすれば、戻ってくる鞄はその答え合わせだ。窓の外には午後の光が静かに差し込んでいて、工房にはミシン油の匂いがいつも満ちている。私はその匂いの中で、人が鞄をどう使ったかを、布の傷み方から読んでいくのだと思う。

持ち込まれる場所は、だいたい決まっている。持ち手の付け根、底の四隅、ファスナーの両端。十四年も預かっていると、どこから先に音を上げるかが統計になってくる。いちばん多いのは付け根のほつれだ。次が底の角の擦り切れ、その次がファスナーの端のほつれ。新品のときに私が「ここに力がかかる」と言った場所と、客が「ここが壊れた」と持ってくる場所は、たいてい同じだった。

傷み方には、その人の癖が残っている。先週来た八号のトートは、右の持ち手だけが飴色に深く育って、左はまだ硬かった。この人はいつも右肩に掛けるのだ。底の前側だけが擦れている鞄は、床に置くとき決まって同じ向きに下ろす人。角の一つだけが潰れた鞄は、詰め込んだ重みがそこへ寄る癖がある。鞄は、持ち主の習慣を黙って記録していくものなのかもしれない。

うちの工房の鞄ばかりが来るわけではない。他社の鞄も預かる。最初は気が進まなかった。よその設計を、よその縫いを、ほどいて中を覗くことになるからだ。けれど開けてみると、自分のやらない始末に出会う。付け根に革ではなく厚いテープを噛ませる工房、コバを焼かずに二つ折りで伏せる工房。他人の設計は、私の知らない正解を一つずつ見せてくれる。修理は、他人の手元を盗み見る学校でもあるのだと思う。

直せない鞄も、たまにある。布そのものの寿命が来ているとき。表面が日に焼けて繊維がもろくなり、針を入れた先からほつれていく。縫い直しても、新しい糸が古い布を引き裂いてしまう。そういうとき、私は迷う。手間賃をいただいて延命するか、「新しいのを作った方が安いですよ」と正直に言うか。言ってしまえば仕事は減る。それでも、もたない縫いを承知で縫うのは、職人の嘘になる気がして、私はたいてい言ってしまう。

修理の跡を、隠すか見せるか。客に必ず訊く。同じ色の糸で目立たせず直せば、何ごともなかったように見える。けれど、あえて違う色の糸で縫う人もいる。先日の年配の女性は、亡くなったご主人の鞄の裂けた角を、赤い糸で縫ってくれと言った。「直したことが、見えるようにしたいんです」と。隠す修理と、見せる修理。どちらを選ぶかに、その鞄とその人の物語が滲み出る。鞄は、持ち主と歩んだ歳月をその身に刻んでいくのだ。

ときどき、十年前に私が縫った鞄が戻ってくる。先月のそれは、二十六の私が縫った八号のトートだった。底の角の返しを見て、私は赤面した。糸目が揃っていない。返しの幅も足りない。あの頃の私は、強さより見た目のまっすぐさを追っていた。若い自分の縫い目と向き合うのは、気恥ずかしくて、少しありがたい。下手だった証拠が、十年もちこたえてくれたのだから。

その角を、私は今日の縫いで直した。返しを四回入れ、当て革を噛ませ、若い私の足りなかった分を足した。古い糸目を全部はほどかなかった。下手なところを一段、わざと残した。十年後の私が、またこれを見て赤面すればいい。

修理に戻ってくる鞄は、答え合わせだ。壊れた場所は使われ方を教え、使われ方は持ち主を教える。新しく作るのが問いだとすれば、戻ってくるのは答えなのだと、いまの私は思う。作ることと直すことは、つまるところ同じ縫い目の、行きと戻りなのだ。今日も工房には、ミシン油の匂いが静かに満ちている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。