オボロサキ(38歳・和凧職人24年)
月に一度、公民館の和室で凧作り教室を持っている。子供たちが目を輝かせて駆け込んでくる午後は、伝統を次の世代へつないでいくのだという思いに、私の胸も自然と温かくなるのだと思う。畳の上に低い座卓を並べ、私はその一番奥に座って、来る子を待つ。
始まる前にやることは、数えることだ。小刀を人数分、竹ひごを人数分、和紙を人数分、それから定規と糸と、刷毛を人数分。刃物を使う教室だから、小刀は私の手元にまとめて伏せて置き、一人に一本ずつ、刃の向きを自分の側にして渡す。渡すときに必ず「親指を刃の通り道に置くな」と言う。机の縁から刃がはみ出さないように、座卓の中ほどに削り板を据える。怪我をさせない段取りだけは、子供の数だけ前もって組んでおく。
最初の一手は、竹を割る音だ。私が一本、見本に小刀を当てて、節の手前を裂く。ぱきっと乾いた音が和室に響くと、たいてい前の列の子が肩をすくめる。その驚きが大事なので、私はもう一度、今度はゆっくり割って見せる。「怖がらんでいい。竹は素直に割れる。力で押すんじゃない、刃を立てて、竹の筋に沿わせるだけだ」。子供の手に余る力を、筋のほうへ逃がしてやる。押す子の手に、私は自分の手を添える。
削れた骨を、私は子供の指の上に載せてやる。人差し指一本、まん中に。傾く骨は、載せた途端にくるりと回って落ちる。水平に止まる骨は、指の上でじっとしている。「これが釣り合いだ」と言うと、子供は自分の骨を指に載せ直して、何度も落とす。左右で削る厚みが違うと、骨は重いほうへ倒れる。落ちた骨を拾って、厚いほうの腹を一削りする。また載せる。止まるまで、それを繰り返させる。骨が指の上で止まった子は、声を上げる。
絵は、任せる。骨が組み上がって、糸目の点を私が打ってやったら、あとの紙には何を描いてもいい。揚がる構造は守らせるが、絵には口を出さないのが私の領分だと思う。怪獣を描く子がいる。名前を大きく描く子がいる。空の絵の凧で空を飛ぶのだと笑う子もいる。にじんでもいい、はみ出してもいい。骨さえ通っていれば、その紙は揚がる。
校庭に出て、試し揚げをする。風を入れると、骨の釣り合った凧は、子供が走らなくてもふわりと立つ。揚がらない凧は、決まって首を振って、地面を擦って転がる。私はそれを拾い、その場で見る。たいていは糸目の片寄りか、左右の骨の厚みだ。「ここを半分戻すぞ」と言って、糸目の一本を指で詰めるか、骨の腹を小刀で一度だけ薄くする。直して、もう一度子供に走らせる。さっき落ちた凧が立つと、子供は振り向いて私を見る。失敗した凧を直す手が、この教室でいちばん見せたい手だ。
後ろのほうに、親が見学している。腕を組んで子供を見ていた父親が、終わりがけに「自分も作ってみたいな」と言うことがある。母親が竹ひごを一本手に取って、刃の向きを確かめている。教室には二巡目がある。子供が一枚作り終えると、もう一枚分の竹を出して、今度は親子で削りはじめる。和室にまた、竹を割る音が戻ってくる。私はその音を背中で聞きながら、次の子の糸目を打っている。
子供は、できた凧を抱えて帰っていく。その凧が家でどうなるのか、私は知らない。次の風の日にちゃんと揚がったのか、押し入れに仕舞われたのか、骨が折れて捨てられたのか、一度も聞いたことがない。けれど、その後を知らないのが教室なのだ。私は骨を渡すところまでが仕事で、揚げるのはあの子たちだ。手放した凧の行方を知らないまま、私はまた来月、小刀を人数分、伏せて並べる。