オチアイレオ(28歳・水道の漏水調査員6年)
漏水調査は夜やる。昼間は地面の上に音が積もっていて、その下を流れる水の音までは届かない。車、室外機、人の声。それが消えるのを待って、町が眠ってから現場に入る。静けさは風景ではなく、作業の条件だ。
音聴棒という、一メートルほどの金属の棒を使う。片方を止水栓の鋳鉄の蓋に当て、もう片方を耳に当てる。蓋は鍵棒の先を穴に差してこじ起こす。十キロ近くあって、夜中じゅう開け閉めしていると手のひらが先に音を上げる。棒越しに地面の下の管の振動が耳に届く。漏れている管は、漏れていない管とは違う音を出す。二〇二〇年、二十二歳で入った最初の数週間、私にはその違いが分からなかった。
先輩のうしろを歩いた。先輩は蓋を起こし、棒を当て、十秒黙り、「無い」と言って次へ行く。私が同じ栓に当てても、聞こえるのは「ゴーッ」という、世界そのものの音だけだった。どれが水で、どれが水でないのか、見当もつかない。迷っていた、というより、何を手がかりに迷えばいいのかが分からなかった。
自分の判断で初めて棒を当てた夜、先輩が言った。「水の音を覚えようとするな。水じゃない音を全部覚えろ。残ったのが水だ」。風、電柱のトランスの唸り、遠くの幹線道路、自分の心臓、棒を握る手の血の流れ。それを一つずつ「これは違う」と捨てる。最後に名前のつかない音が残ったら、それが漏水だ。覚えるのは水ではなく、水でないものすべてだった。
その夏、最初の一本で当たった夜のことは、いまも音で覚えている。深さ六十センチほどの止水栓だった。蓋を起こし、棒を当てて、いつものように音を捨てていって、捨てきれない音が一つ残った。砂に細く水が染みていく、紙を裂くより遅い、連続した「ス——」。本に書くなら「シャー」と書くしかないのだろうが、あれは「シャー」ではなかった。針の先ほどの穴だと、棒の手応えで分かった。翌朝、掘削班がそこを掘ると、土の下から、その穴のあいた管が出てきた。
当たりをつけたら舗装に印をつける。翌朝、掘削の班がそこを掘る。私のマーキングが正しければ濡れた管が出る。ずれていれば、彼らはアスファルトを切り、何も無い土を掘って、また埋め戻すことになる。だから二点で音を拾って位置を逆算する相関式の機械も併せて使うが、最後に蓋に棒を当てて確かめるのは、いつも自分の耳だ。深夜の路上に膝をついた、社名の腕章をつけた男。二階の窓からこちらを見る視線を背中に感じながら、その視線も「水でない音」のように一度捨てて、私は栓に耳を戻す。
一晩歩いて何も無い夜がある。明け方、地図の栓を全部開け終えて、何も書き込めなかった日の、あの妙な疲れ。報告書には漏水音を言葉にする欄があって、私はいつも困る。あの「ス——」に、ちょうどいい言葉が無い。「微弱な連続音」と打ちながら、これは嘘だと思う。
六年で印をつけた現場の数は覚えていない。覚えているのは、音のほうだ。砂に染みる「ス——」。コンクリートの下で金属が細く鳴いた夜。今夜もまた、町が眠るのを待っている。地面の下に、まだ名前のついていない音がある。