オチアイレオ(28歳・水道の漏水調査員6年)
寒波が来ると、いつもの夜の仕事が、その翌朝だけ昼の仕事になる。窓の外には凍てつく空気が張りつめていて、私はまだ暗いうちから装備を車に積み込む。普段は町が眠るのを待ってから現場に入る私が、寒波の朝だけは、町が起き出すのと一緒に動き出すのだ。静けさを商売道具にしてきた男にとって、それは少し落ち着かない時間だ。
気象台が大寒波の予報を出した日、会社は待機体制に入る。明日の朝、通報が一気に来ることが分かっているからだ。凍結による漏水は、不思議なことに、いちばん寒い夜には起きない。氷は水より体積が大きいから、夜のあいだに管の中で凍って、内側から管を割る。けれど割れた管は、凍った氷で塞がれているから、まだ漏れない。漏れ始めるのは、朝、日が昇って氷が解けたときだ。凍結の漏水は、解けてから始まる。
だから寒波の翌朝、太陽が高くなるにつれて、通報の電話が増えていく。「水道管が破裂した」という通報の、しかし半分は、私たちの管轄ではない。水道局が責任を持つのはメーターから道路側の管で、メーターから家側——宅内の配管は、その家の持ち物だ。むき出しの蛇口や、家の外壁に這わせた給湯の管が割れたなら、それは水道屋さんを呼ぶ話で、私たちの仕事ではない。
それを説明するために、私はメーターボックスの蓋を開ける。たいていは玄関先の地面に埋まっている、青や灰色の樹脂の蓋だ。開けると、中にメーターと、その両側の管が見える。「ここから道路側はうちで直します。ここから家側はお宅の管なので、宅内の業者さんへ」。境目を指でなぞって見せると、たいていの人は黙ってうなずく。水が噴いて慌てている朝に、管轄の話をするのは、いつも少し心苦しい。
凍結を防ぐ知恵は、地域ごとに違う。寒い地域ではむき出しの蛇口にタオルや布を巻き、その上からビニールをかぶせる家が多い。ヒーターケーブルという、管に巻きつけて通電すると温まる線を使う家もある。いちばん簡単なのは、夜のあいだ蛇口を細く開けておく「ちょろちょろ出し」だ。水が流れていれば凍りにくい。ただ、これには異論もあって、水道代がもったいないとか、流しっぱなしは資源の無駄だとか言う人もいる。どちらが正しいのか、私には分からない。
凍結で割れた管の漏水は、音が違う。普段の漏水は、針の先ほどの穴から砂に水が染みる、細く長い「ス——」だ。けれど凍結の破断は、管が内側から押し割られるから、破断面が大きい。穴ではなく裂け目だ。だから音も、細い連続音ではなく、もっと太く、勢いのある音になる。棒を当てなくても、舗装の継ぎ目から水が滲み出しているのが、明るい朝の光の下では目で見えてしまう。夜の仕事の繊細さが、朝の現場では要らない。
昼の光の中で膝をつくのは、夜とは別の感覚だ。夜なら背中に感じる視線は二階の窓ひとつだったが、朝は通学の子どもも、出勤の人も、みんなが私を見ながら通り過ぎる。隠れるものが何もない。それでも、噴き出す水を前にして待っている家の人にとっては、私は朝いちばんに来てくれた人なのだ。普段、誰にも見られずに夜の路上にしゃがんでいる私には、それはなんだか面映ゆい役回りだった。
夕方近くになって、ようやく通報が落ち着く。解けるものが解けきってしまえば、新しい漏れはもう出ない。明日の夜には、また私はいつもの夜の仕事に戻るのだろう。考えてみれば、寒波というのは、町じゅうの水道管がいっせいに試される日なのだ。凍って、割れて、解けて、漏れる。その試験のあとを、私はひとつずつ歩いて確かめている。あの音聴棒が、今日もまた、私を町と水のあいだに立たせている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。