オキタマサシ(48歳・新聞配達員26年)
新聞配達を二十六年続けている。毎朝三時、まだ町が暗いうちに販売店に着き、折込チラシを挟み込み、順路帳の順に町を一周する。雨の日はビニールを掛ける。バイクはカブだ。私の一日は、世界の誰よりも早く始まり、世界の誰よりも早く終わる。そういう仕事をずっとしてきた。
配達員というのは、一軒一軒の新聞受けの形を覚えてしまう生き物だ。蓋つきの郵便受け、玄関脇の鉄の箱、ドアに直接挟む家、塀の上に置かれた木の受け。形が違えば、入れ方も変わる。輪ゴムで巻いた朝刊を、どの向きで、どの深さまで差し込むか。それを順路の数だけ、手が覚えている。
夜明け前の町は、静かに眠っていた。二〇〇三年、配達三年目の秋のことだった。空気はまだ夏の名残を残していて、それでいて朝の風には少し冷たさが混じっていたと思う。私はいつものように順路を回り、ある一軒の前でカブを停めた。
その家の新聞受けに、前日の朝刊が、輪ゴムを巻いたまま残っていた。私が前の日に差し込んだ、あの向きのままだった。取り込まれていない。それだけのことだ。旅行か、たまたま朝が遅いのか。私はその上に、その日の朝刊を重ねて差した。新聞受けが、少し膨らんだ。
翌朝も、同じ家の前でカブを停めた。前々日と前日の二部が、まだそこにあった。私が重ねた向きのまま、二部とも。新聞受けが、いっぱいになりかけていた。配達員は、この膨らみを見落とさない。出されない新聞は、出された新聞よりずっと目立つのだ。私はその上に、三部目を差せなかった。差せば、こぼれそうだった。
三日目の朝、三部が溜まっているのを確認して、私は順路を最後まで回りきってから販売店に戻り、所長に報告した。「あそこの家、三日分溜まってます」。所長は順路帳の住所を確かめ、しばらくして、民生委員に連絡したようだった。私は次の日の準備をして、いつものように帰って寝た。配達員にできるのは、気づいて、伝えるところまでだ。
後で聞いた話では、その家の高齢の男性は、廊下で転んで動けなくなっていたという。何日も水を飲んでいなかったが、一命はとりとめた。よかった、と所長は言った。私もよかったと思った。けれど私は、自分が誰かを助けたとは思わなかった。私はただ、新聞受けが膨らんでいることに気づいただけだ。気づく仕組みの、いちばん端っこにいただけだ。
それから、私の見方は変わった。新聞受けの出し入れの時刻、輪ゴムの返し方、長期不在の止め連絡、解約の理由欄。配達員は、町の人がいちばん油断している時間に、町を一周している。新聞という商品は年々減っていく。それでも、毎朝この町の家々の「いる・いない」を、誰かが確かめている。新聞が運んでいたのは、もしかすると記事ではなかったのかもしれない。
あれから二十六年、私はずっと町の観察者であり続けてきた。新聞が売れない時代になっても、新聞受けの膨らみだけは、いつも何かを語っている。あの三日分の朝刊が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日もまた、町が暗いうちに、私はカブのエンジンをかける。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。