大型連休の、忘れ物
連休が明けて、棚に旅行鞄が増える数日間について

オニヅカメイ(34歳・鉄道の忘れ物センター係12年)

連休が明けた朝、棚の風景が変わる。平日の棚は傘と定期入れの棚だ。差し忘れた傘と、改札で素通りした定期入れ。それが連休の翌朝には、旅行鞄とお土産の紙袋に置き換わる。同じ忘れ物センターなのに、棚の上に並んでいるのは、別の町の、別の暮らしの落とし物だった。連休のあいだ、いつもの私の町は、家族連れの通り道になっていたのだと、棚を見て知る。

いちばん増えるのは旅行鞄だ。平日には現れない、車輪のついた大きな鞄が、棚に入りきらずに床に並ぶ。新幹線や特急からのものが多い。理由は分かる気がする。長い時間、深く眠ってしまうからだ。各駅停車の浅い眠りなら、揺れと放送で目が覚める。けれど指定席の三時間は、人を底まで眠らせる。降りる駅で起こされて、慌てて立って、足元の鞄をそのまま残していく。眠りの深さと、忘れ物の大きさは、たぶん比例している。

困るのは、お土産だ。生菓子の紙袋が届く。中をあらためると、賞味期限が翌日や翌々日のものがある。忘れ物には保管の規定があって、食品は別の扱いになる。日持ちのしない物は、長くは置けない。番号を振りながら、私は箱の側面の小さな日付を見る。この日付が過ぎる前に、持ち主は現れるだろうか。多くは現れない。せっかくのお土産が、誰の口にも入らないまま規定の日数で下げられていくのは、十二年経っても慣れない場面のひとつだった。

観光客の問い合わせには、独特の難しさがある。電話の向こうの人は、たいてい「もう地元に帰ってしまった」のだ。取りに来ることができない。だから着払いの発送になる。住所を聞き、伝票を起こし、品物を梱包して送り出す。平日の忘れ物なら、本人が窓口に来て、肩を下げて帰っていく。けれど連休の忘れ物は、肩の下がる顔を見ないまま、伝票の上の住所だけを頼りに、遠い町へ旅立っていく。

子どもの帽子が、毎年いくつも届く。レジャーシートや、片方だけのサンダルも。子どもの帽子には、名前の刺繍が入っていることが多い。内側の白いタグに、丁寧な刺繍で名前が縫い取ってある。けれど、名前があっても連絡先はない。その子がどの町の子で、どうやって連絡をつければいいのか、刺繍は何も教えてくれない。名前だけがそこにあって、たどり着く道筋がない。平日の定期入れには名前と一緒に勤め先の手がかりがあるのに、連休の帽子には、名前しかなかった。

連休の最終日には、車内点検が念入りになる。終点まで来た新幹線を、清掃の人たちが座席の下まで覗き込む。網棚を見上げ、座席の隙間に手を入れる。そうやって集められた忘れ物が、翌朝の段ボールになって私の机に届く。一本の列車から、旅行鞄が三つも四つも出てくる日がある。点検の手が丁寧であるほど、私の棚はにぎやかになる。誰かの見落としが、別の誰かの丁寧さで拾い上げられて、番号を振られていく。

連休のあいだ、棚は楽しかった旅の余韻でいっぱいになる。お土産の紙袋からは、その町の名物の匂いがして、旅行鞄には行楽地のタグがまだ巻かれている。子どもの帽子を手に取ると、海か山か、その子が走り回った一日が見えるような気がする。忘れ物は、持ち主が置いていった楽しい時間のかけらなのかもしれない、と思いながら、私は番号を振っていく。

けれど、連休が明けて一週間も経つと、棚は驚くほど速く平日に戻る。着払いで送り出された旅行鞄が消え、規定で下げられたお土産が消え、刺繍の帽子だけが少し残って、やがてそれも下げられる。気がつけば、棚にはまた傘と定期入れが並んでいる。あの家族連れの通り道は、もう私の町のいつもの平日に戻っていた。にぎやかだった棚が、こんなにあっけなく静かになるのかと、毎年同じことを思う。

十二年、連休のたびに同じ棚を見てきた。旅行鞄が増えて、お土産が下げられて、帽子の名前にたどり着けないまま、棚はまた平日へ戻る。結局のところ、連休の忘れ物とは、家族の楽しかった時間の余韻が、置き去りにされて棚に残ったものなのだ。その余韻を番号で受け止めて、平日の棚へ送り返すのが、この季節の私の仕事なのだと、いまではそう思っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。