オリベシズカ(55歳・市営霊園の管理事務30年)
市営霊園の管理事務所で三十年働いている。墓を建てるのも、参るのも、私の仕事ではない。私は番号を振り、名義を記録し、使用料の納付を待ち、納められなければ督促を出す側の人間だ。督促を三度出してなお連絡がつかない区画には、最後にもう一枚、紙を立てる。公告という。
公告の文面は、墓地埋葬法の施行規則に沿った定型だ。所在、区画番号、使用者の氏名、そして「縁故者は本公告掲載の日から一年以内に申し出よ」という一文。役所の倉庫にひな型があり、私はそこへ日付と番号を打ち込むだけでいい。打ち込むのは掲載開始の日付だ。去年は五月七日、今年は四月二十二日。文面は一字も変えず、その日付だけが、年ごとに前後する。多い年で五、六枚立てる。
立て札は、改葬予定の区画の前に挿す。木の杭に貼った紙を、ラミネートで包んでから挿す。字が滲まないように、というだけの理由だ。同じ文面を官報にも載せる。掲載は委託の事業者が代行するので、私は番号の控えを受け取るだけだ。立て札と官報、その二つで一年間、周知したことになる。ただし、官報を読む遺族はいない。立て札に気づくのは、その区画に上がってきた人だけだ。だから連絡が来るとすれば、墓参の季節になる。
その年も、彼岸の中日の翌日に電話が鳴った。「立て札を見て」と、その人は言った。「気づかなくて」とも言った。引っ越しのたびに督促が宛先不明で戻っていた区画の、その人の声だ。私は督促の履歴を画面に出す。三度の発送日と、三度とも「あて所に尋ねあたりません」の付箋で戻ってきた日付が、並んでいる。記録は、その人を待っていなかったわけではない。紙が宛先を見つけられなかっただけで。彼岸に墓へ上がって、初めて立て札が、その人を見つけた。
けれど、最後まで誰も現れない区画のほうが多い。一年が過ぎる。私は掲載の日から数えて、三百六十五日が経ったことを台帳で確かめる。改葬の手続きに入る。改葬許可申請、無縁改葬の届出、合葬墓への受入名簿への追記。判を押す欄が、全部で十一か所ある。私はその十一か所に、順に押していく。十一個目の判が乾く頃には、最初に押した欄のことを、もう思い出さない。
改葬の日、石材店が来る。墓石を起こすとき、音がする。重い石が、長く据わっていた台座から離れる、低い、含んだような音だ。石の下から出てくる骨壷を、職人が両手で受け、桐の箱に移す。私は受入名簿と照合して、番号に間違いのないことを確かめる。確かめ終わると、職人が「お願いします」と言う。私は判を、十一個目の欄に押す。
台帳の上では、私たちは「無縁」という言葉を使う。無縁改葬、無縁区画、無縁納骨。書類の名前がそうなのだから、書くしかない。けれど口に出しては、誰もその言葉を使わない。電話の相手にも、石材店にも、合葬墓へ移す当の人にも。「あちらへお移しします」とだけ言う。三十年、それが事務所の作法だった。台帳に書く四文字を、私は一度も声に出したことがない。
合葬墓は、霊園のいちばん奥にある。名前のない御影石の納骨堂で、花立ては石の窪みが一つきりだ。その窪みの花が、たいてい替わっている。一昨年の正月の三日だけは、空だった。それ以外の朝は、菊が一本、挿してある。水も替えてある。誰が、とは台帳に書きようがない。名義のない墓に、名義のない花だ。
今朝も、合葬墓の窪みに花があった。昨日はなかった白菊が、一本。水は替えてあった。私は督促の履歴も、公告の控えも開かずに、ただその一本を数えた。