オリベシズカ(55歳・市営霊園の管理事務30年)
市営霊園の管理事務所で三十年働いている。仕事は区画の台帳と、使用料の納付書と、植木職人の年間契約だ。墓を建てるのも、参るのも、私の仕事ではない。私は番号を振り、名義を記録し、冬は水道が凍らないように水を抜く側の人間である。
一九九六年、二十五歳で勤め始めた。前任者から引き継いだ朝の日課が一つあった。水場の点検だ。霊園の水場は四か所、柄杓は常設で各場三本、十二本。桶は伏せて干す。毎朝いちばんに、私はこの数を合わせた。柄杓十二、桶八。割れれば取り替え、足りなければ補充の手配をする。台帳の隅に、その実数を書く欄を自分で作った。
冬の朝は、前夜に抜いた水道の栓を開けるところから始まる。蛇口の鉄が手に貼りつくほど冷たい。桶の底には、夜のあいだに溜まった落ち葉が一、二枚ある。そういう朝のほうが、私にはこの仕事の手ざわりだった。
お盆は柄杓が足りなくなる。常設十二本に、倉庫から二十本足して計三十二本を出す。彼岸も同じだ。駐車場には係を一人立てる。盆の三日、夕方に戻らない柄杓はだいたい三、四本。流しの脇に放られたまま忘れられているのを拾い、桶を伏せ直して、足りない分を翌年の発注に回した。あの数日だけ、霊園は人でいっぱいになる。
けれど私が数えるようになったのは、その賑わいのほうではなかった。真冬の平日、ほかに誰もいない時間に、桶を一つ持って同じ区画へ上っていく人が何人かいた。一人は、毎月十四日の昼過ぎだった。三月、四月、その人の桶だけが伏せ場から一つ減り、夕方に戻ってまた伏せられる。私はその桶を、たぶん本人より几帳面に数えていた。
台帳には名義がある。誰がいつ来るかは、どこにも書いていない。区画を回ると、名義人が健在でも花のない区画があり、名義人がとうに亡くなっていても花だけは新しい区画がある。台帳では同じ「使用中」の四文字だ。ある朝、伏せたはずの桶が一つだけ、表を向いて濡れていた。前の晩、私が閉門の後に来た者がいたのだ。台帳には、その夜のことは何も残らない。
無縁改葬の公告を貼るのも私の仕事だ。何年も納付がなく連絡もつかない区画に、期限を切った貼り紙を出す。手続きとしては、判で押すのと変わらない。去年、公告を貼った区画があった。貼り紙の期限は四十日。その十一日目に、白菊が一本供えられていた。誰が、とは書かない。私は数だけ知っている。期限の残り、二十九日。
三十年で何本の柄杓を発注したか、もう覚えていない。覚えているのは、毎月十四日に減る桶と、表を向いて濡れていた朝の桶と、白菊の供えられた区画の番号のほうだ。今朝も、柄杓は十二本あった。桶は、八つ。