オリグチハジメ(60歳・傘の修理職人38年)
傘を直して三十八年になる。直しの仕事は三つしかない。折れた親骨に継ぎ骨を当てること、関節——ダボというのだが——を交換すること、そして布の端を骨の先に留める露先を縫い直すこと。たったこれだけのことを、人は自分ではやらない。だから私の手元には、今日も誰かの傘が来る。
継ぎ骨というのは、真鍮のパイプである。折れた親骨に、外から細い真鍮の筒をかぶせ、潰してかしめる。骨より少しだけ太く、少しだけ硬い。元通りにはならない。その一点だけ、骨が太くなる。畳んだとき、そこだけ膨らむ。直した傘は、直した場所を、ずっと覚えている。
一九八八年、二十二歳の春に、私はこの仕事の弟子になった。師匠は無口な人で、教えることはほとんどなかった。ただ一度だけ、こう言った。「骨の折れ方を見ろ。風で折れた骨と、ぶつけて折れた骨は違う。畳み方の癖でも折れる」。その日の工房には、雨上がりの澄んだ光が差し込んでいて、外の空には小さな虹が出ていたように思う。
風で折れた骨は、しなって、関節の近くで一気にいく。ぶつけて折れた骨は、当たった一点で、鋭く折れる。畳み方の癖で折れる骨は、いつも同じ場所が疲れて、白く粉を噴いてから、静かに割れる。師匠の言うとおりだった。骨は、その傘がどんな目に遭ってきたかを、折れ方で語っていたのかもしれない。
修業のころ、よく分からなかったのは、錆の出方だった。骨は片側だけ赤く錆びていることがある。最初は不思議だったが、やがて分かった。傘を干すとき、いつも同じ向きで立てかける人がいる。日の当たる側、壁にもたれる側。錆は、その人の家の窓の向きを、骨の上に写し取っている。私は錆の位置を見て、その人がどこに傘を立てるのかを、なんとなく想像するようになった。
突風の翌日は、決まって列ができた。みな同じ折れ方の傘を持って、同じ顔をして並んでいた。風は街じゅうの傘を、同じやり方で壊していく。けれど一本ずつ手に取ると、継ぎの跡があったり、露先がほつれていたり、持ち手が手の脂で黒光りしていたりして、やっぱり一本ずつ違う傘だった。同じ風に壊された傘でも、壊れる前の暮らしは、みな違っていたのだと思う。
ビニール傘の時代になっても、直しに来る傘はある。海外で買った高い洋傘、誰かに贈られた傘、二十年使った傘。あるとき、若い客が一本の古い傘を置いて、こう訊いた。「これ、直す価値ありますか」。私は手を止めて、少し考えてから答えた。価値は店が決めるものではない。私が言えるのは、直せるか、直せないか、それだけだ。継ぎ骨が当てられるなら、当てる。当てられないなら、そう言う。価値の話は、あなたのほうにある。
その傘は、ダボが割れていた。関節の交換で済んだ。客は黙って受け取って、帰っていった。直す価値があるかどうか、私には今でも分からない。ただ、その傘はまた、誰かの頭の上で開くのだろうと思った。骨を継ぐというのは、たぶん、そういうことなのだろう。使い捨ての時代に、捨てないと決める手が、どこかに残っているということ。
あれから三十八年。私は骨の折れ方の観察者になった。風と、持ち主の歩き方と、家の窓の向きを、折れた骨から読む人間になった。あの日、師匠が言った「骨の折れ方を見ろ」という一言が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。工房の壁には、継ぎ骨の真鍮パイプが、今日も静かに吊るしてある。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。