オリハラミツル(59歳・百貨店施設管理36年)
施設管理という仕事を三十六年やってきた。配管、空調、防水、消防設備、エレベーターの定期検査。建物が壊れないように、壊れる前に気づくのが仕事だ。点検というのは、何も起きていないことを確認しに行く作業で、たいてい何も起きていない。だから報告書には、いつも同じことを書く。「異常なし」。
一年目、一九九〇年の春、私が最初に配属されたのは屋上だった。屋上遊園地である。百円玉を入れると動く豆機関車、子ども五人で満員になる小さな観覧車、車掌帽をかぶった写真スタンド、ゲーム機が数台。床はゴムタイルで、その下に防水層があった。建物のいちばん上で、いちばん軽いものを扱う持ち場だった。
初仕事は硬貨回収だった。先輩から鍵を一本渡された。遊具の硬貨箱を開けるための鍵で、ほかのどの鍵とも違う、丸い頭の鍵だった。機関車の運転台の下に錠前があり、そこを開けると、百円玉が詰まった金属の箱が出てくる。子どもたちの歓声が風に乗って届く屋上で、私は一台ずつ箱を開けて回った。
機関車の箱がいちばん重かった。両手で持つと、ずしりときた。事務所に持ち帰って数える。台ごとに枚数を記録し、合計を出して、伝票に書く。それだけの作業だ。けれど私は、機関車の箱の重さで、その週の屋上の幸福の総量が量れるような気がしていた。重い週は、よく晴れた週だった。たぶん、そうだったと思う。
もちろん、私の仕事は数えて記録することで、幸福を量ることではない。百円が何回、子どもを笑わせたかは伝票に載らない。載るのは枚数だけだ。私はレールの継ぎ目に油を差し、観覧車の軸受けの音を聞き、防水層の膨れを目で追った。屋上の幸福は私の管轄ではなかった。私の管轄は、その幸福が乗っている床のほうだった。
機関車のレールには、月に一度、油を差した。差しすぎると埃を噛むし、足りないと継ぎ目で音が鳴る。適量というものがあって、それは数字ではなく、指の感触で覚えるしかなかった。観覧車は半年ごとに、ゴンドラを一台ずつ外して軸を点検した。子どもの乗り物ほど、点検は静かに、念入りにやるものだと教わった。落ちていいものなど、屋上には一つもなかった。
二〇一〇年代に入って、屋上遊園地は閉園した。客が減り、遊具が古くなり、安全基準を満たすための改修費が、回収できる百円玉の総量を上回った。経営判断としては正しかったのだろう。閉園の日、最後に機関車に百円玉を入れたのは私だ。お別れの記念ではない。電源を落とす前の、最後の動作確認だった。レールを一周して、機関車は停止位置にきちんと止まった。異常なし、と私は手帳に書いた。
遊具の搬出には三日かかった。観覧車は分解され、機関車はレールごとトラックに積まれた。床のゴムタイルを剥がすと、二十年前に私が差した油の染みが、防水層の上にうっすら残っていた。いまその屋上は緑化スペースになっている。芝が張られ、ベンチが置かれ、社員が昼に弁当を食べている。私は今日もその屋上を点検する。防水層は、機関車のレールがあった場所の下に、いまも続いている。
同じ場所を、二つの時代にわたって見てきた。百円玉が詰まっていた屋上と、芝が静かに育つ屋上と。あの屋上が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。数えることしかできなかった一年目の自分が、いまは数えなくても、その重さを覚えている。鍵はもう手元にない。けれど、機関車の箱の重さだけは、まだこの手が覚えている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。