両替の、新札(第二稿)
帯を切る、選り分ける、刻みをなぞる

オオシマトモコ(51歳・銀行窓口テラー29年)

両替依頼書を受け取ると、私はまず枚数の欄を見る。千円札、三十枚。新券。三月のこの欄は、新券の指定が増える。三万円という金額より、三十枚という数のほうが、私には先に入ってくる。閉店後に一枚合わなければ全員が帰れない窓口で、二十九年、数を先に見る癖がついた。

新券は金庫の中に、帯封のかかった束で置いてある。帯封には百枚と刷ってある。束を取り出して、帯を切る。切ると束がわずかに反って、口が開く。新券は指に貼りつくので、指サックをはめても二枚いっぺんにめくれることがある。だから一枚ずつ、めくる先を見て数える。揃った束は手に吸いつく。お客様の前で、もう一度同じ数を数え直す。三十枚。合う。

ご祝儀袋を持って来て、窓口でその場で入れる方がいる。新券を受け取ると、鞄から袱紗を出し、袋を開いて、折り目をつけないように札を差し入れる。カウンターの上で、肖像の向きを揃えて。私は数え終えた札を渡したあと、次の依頼書に目を落とす。その手元は、見ない。

「使い古した感じのを」と頼む方がいる。不祝儀だ。新しい札は、不幸を前から待っていたようでいけないという。両替の窓口に、ちょうどよく古びた札ばかりが揃っているわけではない。私は手元の札から、折り目のついたもの、端の柔らかくなったものを一枚ずつ選って束ねる。新券を数えるのは速い。旧札を選るほうが、ずっと手間がかかる。ご祝儀には新券を数え、不祝儀には旧札を選る。窓口は、その向きの違いを、何も言わずに手で分けている。

混む季節には、新券が切れる。一万円札も千円札も、金庫にある。新券だけがない。「新券のご用意が切れておりまして」と言うとき、お客様は怪訝な顔をされる。残高はあるのに、と。お金が足りないのではない。お金の形が切れている。そのことを、私はうまく言える言葉を、二十九年たってもまだ持っていない。

両替には手数料の表がある。当行では、一回の両替が五十一枚を超えると四百円、五百一枚を超えるとまた刻みが上がる。新券への両替も、この表に従う。「両替なのにお金がかかるんですか」と驚かれると、私は表を指でなぞって、五十枚で線が引かれていることを示す。配る相手の人数と、無料の境目の枚数。お客様はその二つの数を、窓口で初めて並べて見ることになる。

新券に両替する方は、たいてい急いでいない。明日の式、来週の祝い、少し先の改まった日のために、前もって来る。受け取った新券を、財布ではなく封筒や袱紗にしまう。日常の札と同じ場所には入れない。私はそれを横目に、次の帯を切る。

帯を切り、新券を数え、旧札を選り、刻みの表を指でなぞる。私のする両替は、それだけだ。新券でお願いします、と言われれば新券を数え、使い古した感じで、と言われれば旧札を選る。同じ一万円を、向きを変えて手で分ける。今日も誰かが、依頼書の枚数の欄に、新券、と書いて差し出す。私はその数を数える。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。