オトナシユウ(49歳・補聴器技能者24年)
補聴器を売って、それで終わりだと思っている人がいる。眼鏡と同じだと思っているのだ。買って、掛けて、見えるようになって、おしまい。だが補聴器は違う。耳に渡した日から、本当の付き合いが始まる。私はその伴走をずっと続けてきた。
買って最初の一か月が、いちばん来る。週に一度、人によっては二度三度。受付の予約表が、その人の名前で埋まる。なぜそんなに来るのか。音に慣れる作業を、一人ではできないからだ。家で着けて、うるさい、と思う。そのうるさいの中身が何なのかを、本人は言葉にできない。だから来てもらって、こちらが訊く。何の音がうるさいですか、と。
うるさい、はそのままでは調整に使えない。翻訳がいる。食器を洗う音がうるさいと言う人がいる。新聞をめくる音が頭に刺さると言う人がいる。会議で何人もが一度に喋ると、声がぜんぶ団子になって分からないと言う人がいる。これは全部、違う訴えだ。食器と新聞は高い周波数、会議は語音の聞き分け。同じ「うるさい」でも、いじる場所が違う。問診というのは、本人の不満を周波数の言葉に置き換える作業なのだと思う。
置き換えたら、プログラムをいじる。補聴器の中身は、周波数ごとに増幅を割り当てる小さな計算機だ。高い音を二デシベル下げる。中くらいの音はそのまま。耳に着けてもらって、どうですか、と訊く。ここで欲張ってはいけない。一度にいくつも変えると、何が効いたのか分からなくなる。変えるのは一度にひとつ。先輩に教わった原則を、私は二十四年守っている。
音の話ばかりではない。電池の交換、耳垢のフィルターの取り替え、乾燥ケースへのしまい方。補聴器は機械だから、世話がいる。耳の中は思ったより湿っていて、汗もかく。フィルターは小さな白い部品で、これが詰まると音がこもる。月に一度、ピンセットで替える。乾燥ケースに毎晩入れてください、と言っても、入れない人は入れない。だから来店のたびに、私が代わりに乾かす。世話を肩代わりするのも、調整のうちだ。
そのうち、ぱたりと来なくなる人がいる。予約表に名前が並ばなくなる。合わなかったのだ。引き出しの奥に、機械をしまってしまった。私は、しばらくして電話をかける。元気にしてますか、調子はどうですか、と。用件は調整なのだが、いきなり調整の話はしない。世間話から入って、最後に、一度だけ見せに来ませんか、と添える。再開のきっかけは、こちらから細く差し出すものだ。引き出しから出してもらうのは、押してはいけない。待って、待って、糸を垂らすように声をかける。
長く通う人は、年に一度、測り直す。難聴は進む。去年の聴力図と今年の聴力図を重ねると、線がまた少し下に垂れている。すると、合わせていた機械では足りなくなる。増幅を上げる。だが機械にも限界がある。ある段階を越えると、いくら大きくしても言葉にならない。そのときは、買い替えか、もっと出力の大きい機種か、正直に伝える。進む難聴と、機械でできることの境目を、毎年その人と一緒に確かめる。
十年通っている常連がいる。もう調整はほとんどいらない。それでも三か月に一度、フィルターを替えに来て、椅子に座って、孫が大学に受かった、膝が痛い、近所の蕎麦屋が閉めた、という話をして帰る。聞こえの話は、最後にちょっとだけ。私はその世間話を、聞こえの確認だと思って聞いている。蕎麦屋の話がちゃんと噛み合っているなら、その人の耳は今日も足りている。
売って終わらないのが補聴器なのだ。私は二十四年、人の聞こえに寄り添い続けてきた。眼鏡のように一度で終わる仕事ではない。何度も来てもらって、少しずつ合わせて、来なくなったら電話をかけて、また来てもらう。聞こえの距離を測り続けるこの通いこそが、私の仕事の本体なのだと思う。今日も予約表には、見慣れた名前が並んでいる。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。