オトナシユウ(49歳・補聴器技能者24年)
うちから二軒隣に、眼鏡店がある。あいだは印鑑屋と、閉めたままの靴修理屋だ。検眼士はコオリヤマミチさん、一つ上の四十八歳、検眼二十六年。うちの客の半分は、彼の店の客でもある。年を取ると、目も耳も一緒に下がる。眼鏡を作ったついでに「そういえば耳も」とこちらへ流れ、私は「眼鏡もそろそろ」と二軒隣へ送り出す。同じ人が、この並びを行き来している。
先月、八十過ぎのおばあさんが杖をついて来た。コオリヤマさんが付き添っていた。一人だと舗装の段差が危ない、と娘さんに店を任せて、二軒分を一緒に歩いてきたのだ。測ると右耳が落ちていた。帰りも彼が眼鏡店まで送っていった。店をまたいで送り迎えする。この並びでは、誰が決めたでもなくそうなっている。
店を閉めたあと、通りで立ち話をする。シャッターを半分まで下ろし、その下に立って話す。あるとき彼が言った。「視力はな、本人の言う見えにくさと、検眼の数字がずれる」。私は返した。「うちもです。聴力図と、本人の聞こえにくさはずれる」。それきり二人とも黙って、印鑑屋の暗い窓を見ていた。
耳の上が、いちばん厄介だ。眼鏡のテンプルと、耳掛け式の補聴器の本体が、同じ場所を取り合う。テンプルに押されて本体が耳から浮くと、スピーカーから出た音をマイクが拾い直して、ピーと鳴る。ハウリングだ。隙間が鳴る。両方を使う人は多いから、放っておけない。コオリヤマさんにテンプルを細いものに替えてもらい、こちらは耳掛けのフックを一ミリ、頭側へ寝かせた。その人の耳型を持って、二軒のあいだを三度往復した。耳の上の二、三ミリを、二人で分けた。
「補う」は、目と耳で違う。彼が言うには、レンズは一度合えばしばらく持つ。度数はそう何度も変わらない。聞こえは違う。音を戻しても、脳がその音を聞き直すことを覚えるまで、二週、三週とかかる。低いところから始めて、一段ずつ上げる。だから私は客にこう言う。「今日は物足りないくらいで帰ってください。物足りないのが、ちょうどいい音です」。目は道具を渡せば前へ進める。耳は、本人の脳に頼みごとをしてから進む。
去年から、商店街の福祉イベントで相棒を組んでいる。公民館の一室に机を二つ並べ、片方で彼が視力、片方で私が聞こえを測る。お年寄りが順に座る。淡々と測るだけだ。座る前に肩を上げて身構えていた人が、机が二つ並んでいるのを見て、その肩を下ろす。付き添いの娘さんが、目と耳の結果を一枚の紙に続けてメモしていく。本人の中では、目と耳は一本の紙に書ける一続きのものだ。
夕方、私が先にシャッターを下ろす。がらがら、と下ろしてしばらくすると、印鑑屋を飛ばして、向こうのシャッターが下りる。がらがら。音の順番で、今日も彼がまだ店にいたのが分かる。二つ目の音が鳴るまで、私はたいてい、通りに少し立っている。