ブースの灯りを消した日(第二稿)
有人ブース最終日、最後の一台までの手順

オオツカミノル(55歳・元高速道路料金所収受員)

「このインターは三月三十一日より ETC 専用となります」。青地に白の看板が、ブースの脇に三か月立っていた。安い丸ゴシックで、下のラミネートが端からめくれ、雨染みが二つ。毎朝その日付を見て出勤した。最後の日は二〇二四年三月三十一日。私は二十四で入って、五十五で出た。最後のシフトの手順を、順番に書く。

準備金は三万円。千円札十枚、五百円玉二十、百円玉を二本(一本五十枚)、五十円・十円も巻きのまま。これをコイントレーの仕切りに入れ替え、指でならして高さを揃える。三十年、毎回この三万円を数えてからブースに入った。最後の日も三万円だった。それから椅子の高さを直す。交代の若い男が上げていったぶんを、レバーで二度ぶん下げる。来週からはもう誰も座らない椅子だが、私は二度ぶん下げた。制帽の庇は、すり切れて白い。

領収書のロール紙を新しい巻きに換えた。発券機の溝に端を差し、送りボタンを二回押して頭出しをすると、白紙が一枚出る。それを捨てる。一勤務で一巻きの頭、年に三百出勤として三十年で九千枚ばかり、私はこの白紙を捨ててきた。最後の一枚も捨てた。新しい巻きの厚みは指で測れる。あと六百枚は刷れる厚さで、この日に使うのは、せいぜい二十枚だ。

昼を過ぎると、有人レーンに入るのは現金の車と領収書の要る車だけになった。観光らしい家族連れが一台、後部座席で子どもが二人、足を投げ出して寝ていた。父親が一万円を出し、私は釣り銭をトレーに載せて返す。八千二百円。窓が上がって、走り出した。

深夜割引は零時から四時。昔は零時の一秒手前で停まる車があって、その一秒をどちらに数えるかは私の指が決めた。割引前か、割引後か。境界をまたいだ料金を、自分で打った。ETCになってから、その一秒は機械が計算する。この日、零時を回っても有人レーンに車はなく、私が時刻を見て指で決める仕事は、もう一度も来なかった。

個人タクシーが一台。運転手は領収書をくれと言い、現金で払った。私は刷りたての一枚をトレーに載せる。「ご苦労さん、ここもう終わりだってな」。看板を顎で指した。私は「ありがとうございま」まで言った。タクシーは走り出していた。最後の客は、その次に来た軽自動車だった。ETCカードの差し忘れで、差し直してくださいと手で示すと、若い運転手はカードを抜いてもう一度差した。バーが上がり、抜けていった。現金は受け取らなかった。私の最後の客は、一円も払わなかった。

勤務終了。トレーの硬貨を巻きに戻し、札を数え、準備金を三万円に戻して金庫に納める。差額はなかった。九千枚ぶんの白紙を捨ててきた手で、最後にロール紙の残りを発券機から抜き、次の誰かのために、とは思わず、ただ規定どおり持ち帰り用の袋に入れた。日報の最後の行に、いつもと同じ三文字を書く。それからブースの灯りのスイッチを切った。

「異常なし」。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。