ブースの灯りを消した日
有人ブース最終日、最後の一台までの手順

オオツカミノル(55歳・元高速道路料金所収受員)

ETC専用化のお知らせ看板は、三か月前からブースの脇に立っていた。青地に白で「このインターは○月○日より ETC 専用となります」と書いてあって、毎朝出勤するたびに、その日付が近づいてくる。最後の出勤日は二〇二四年の春で、私は二十四で入って、五十五で出ることになった。最後のシフトの手順を、順番に書いておこうと思う。

出勤すると、まず釣り銭の準備金を金庫から出す。一勤務ぶんの準備金は三万円と決まっていた。千円札を十枚、五百円玉を二十、百円玉を二本(一本五十枚)、五十円・十円もそれぞれ巻きのまま。これをコイントレーの仕切りに入れ替えて、指でならして高さを揃える。三十年、毎回この三万円を数えてからブースに入った。最後の日も三万円だった。

椅子の高さを調節する。ブースの椅子は油圧で、レバーを引くと沈む。私の体に合う高さは決まっていて、座って窓に肘を載せたとき、ちょうど普通車のドアミラーの下に視線がくる位置。交代の相手が背の高い若い男だったから、彼が上げていったぶんを、私は二度ぶん下げる。それから制帽をかぶる。庇のへりが、三十年ぶんすり切れて白くなっていた。

領収書のロール紙を新しいものに換えた。前の巻きはまだ少し残っていたが、最後のシフトの途中で切れるのが嫌だったので、換えた。紙の端を発券機の溝に差し込み、送りボタンを二回押して、頭出しをする。試しに一枚刷ると、白紙が一枚出てくる。それを捨てる。この捨てる一枚を、三十年で何枚捨てただろう。最後の一枚も、いつものように捨てた。

昼のあいだに通った車は、もう半分以上がETCだった。バーが上がって、停まらずに抜けていく。有人レーンに入ってくるのは、ETCを積んでいない車と、現金で領収書がほしい車。観光らしい家族連れが一台、後部座席で子どもが二人ぶんの足を投げ出して寝ていた。父親が一万円を出して、私は釣り銭をトレーに載せて返した。窓が上がって、走り出した。

深夜割引は零時から四時。その境界を待つ車が、昔は零時の手前で速度を落としたものだが、その日は一台も来なかった。ETCなら割引は機械が勝手に計算する。零時を回っても、有人レーンは静かなままで、私は領収書のロール紙の残りを、指で押して厚みを確かめていた。まだ半分あった。

最後のほうに、個人タクシーが一台入ってきた。運転手は領収書をくれと言った。現金で払い、私は刷りたての領収書をトレーに載せた。彼は「ご苦労さん、ここもう終わりだってな」と言って、看板のほうを顎で指した。私は「ありがとうございま」まで言った。タクシーは走り出していた。最後の客は、結局その次に来た一台で、ETCカードを差し忘れた軽自動車だった。差し直してくださいと手で示すと、若い運転手は慌ててカードを抜いて、もう一度差した。バーが上がって、抜けていった。現金は受け取らなかったから、その人は私の最後の客でありながら、一円も払わなかった。

勤務終了。コイントレーの硬貨を巻きに戻し、札を数え、準備金を三万円きっかりに戻して金庫に納める。差額はなかった。日報に「異常なし」と書く。最後の行に、いつもと同じ三文字を書いた。それから、ブースの灯りのスイッチを切った。レーンの照明はまだついていて、ETCのバーだけが、誰もいない車に向かって上がったり下りたりしていた。

三十年の三秒が、私の人生だったのだと思う。翌週から、私は「お客様サポート」という窓口に異動になった。机があって、椅子の高さは自分で決められて、釣り銭はもう数えない。最後のテールランプは、あの夜と同じように、闇にゆっくり溶けていった——けれど、最後の客はETCの軽自動車で、テールランプを見送る暇もなかったのが、本当のところだ。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。